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地図を頼りに森の中を進み、途中で遭遇した馬車に乗らせてもらって王都へと帰還した。
メアリーの泊まっているはずの宿へ戻るため街を歩く。
まだ早朝ということもあり人影は少ない。
『あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”ァァァァァァァァアァァァアッァァアアアア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ァァァッッッッッ!!!』
相変わらず、国木田の断末魔が頭から離れない。
元々こっちに来てからは不眠続きだったのだが、目を瞑って横になってもまるで休んだ気になれない。
「そんなに俺が憎いか国木田。安心しろ、全部終わったら死んでやるからさ」
思わず、俺はそう呟いた。
横を歩いていたエレが、不安気な顔で俺を見上げる。
「御主人様、どうなされましたか? 何やら、その……不穏なことを口にされていましたが……」
「ああ、悪い。独り言だ」
俺は頭を軽く二度小突く。
声が止む気配はない。エレに対し、軽く笑い掛ける。
エレは依然不安そうな様子ではあったが、それ以上は踏み込んでこなかった。
前に泊まっていた宿を見つけ、中に入る。
朝早いからか人の出入りはほとんどないが、受付には宿の主人である爺さんが眠そうに立っていた。
向こうも覚えているらしく、こちらを見るとハッとしたように目を見開いた後、にこやかに親しみやすい笑みを浮かべながら手を振ってくる。
「爺さん、前に俺と一緒に来た娘、まだ泊まってるか?」
「ああ、あの、メアリーという可愛らしい御嬢さんでございますね」
爺さんは嬉しそうに言い、それから気まずげに眉を顰める。
その様子に何となく嫌なものを感じながらも、俺は無言のまま、目で先を話すことを促す。
「実は、もう出て行かれたのですよ。ちょうど……昨夜の晩に」
「…………そうか」
こういう場合も、想定していなかったわけではない。
メアリーはこの世界で、普通に生きることを望んでいた。
だから別に、彼女を恨むつもりもない。
元々、こちらから置いて行こうとしたことだってあった。
しかし、でも、こうして急にいなくなられると、もやもやとしたものを感じる。
それを寂しさと言い切れず漠然としたものとしか捉えられないのは、禁魔術の影響なのだろうか。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ……悪い、爺さん。その……置き手紙か何か、預かってはいないか?」
「いいえ、そのようなものは預かっておりませんな」
「掃除の人が、間違って捨てていたりは……」
俺がそう口にしたとき、横からエレが俺の袖を引っ張った。
目が合うと、彼女は小さく首を振る。
「どうか、落ち着かれてください。……エレは、御主人様から離れたりしませんから。エレなんかでよければ、ずっとそばにいますから」
「…………」
俺はあれだけやっておいて、今更置いてった女ひとりに出て行かれたくらいで動揺するのか。
我がごとながら、自分の弱さと身勝手さに辟易する。
自分の腕に思い切り爪を立て、その痛みで自分の心に湧いたもやもやを取り払う。
「……早朝に、客でもないのに悪かった。ありがとう、爺さん」
「いえいえ。船の事情によっては、この時間でも訪れる客が多いものでして。習慣にしているのですよ」
俺が去ろうとすると、手にしていた魔導書が大きく振動した。
『あ、ありえん! メアリーが、勝手にどこかへ行くわけがない! 一時的にわけあって離れているだけであろう! カタリよ、早計であるぞ! せめてもう少し、この爺に事情を訊くのだ!』
珍しく、トゥルムは取り乱したふうに言う。
メアリーが、俺に黙ってトゥルムと何か話していたことは知っている。
それに関係しているのだろう。
「当てが外れたみたいで残念だったな、悪魔」
『ぐ……ぐぬぬぬ……! いいから、早く爺に尋ねるのだ!』
扉に手を掛けたところで振り返り、俺は爺さんに再び目を向ける。
「……メアリーは店を出たとき、どう言っていた?」
「あまり覚えてはいませんが……笑っていた、とは」
だったら問題はない。
それだけで十分だ。
『カタリィッ! 妾の話を聞くのだぁッ!』
しつこい。
いったい、メアリーとどういう話をしていたのか。
切羽詰まった様子を見るに、何か代わりの利かない厄介事を押し付けていたように思えるが。
「爺さん、最後にもう一つ訊きたいんだが」
「はて、なんでございましょうかな?」
「実は、メアリーが勝手に出て行く理由がさっぱりわからかったんだが……」
「……は、はぁ、しかし、そのように言われましても」
爺さんは、困ったように眉を寄せる。
「ひょっとして、背の高いピアスをつけた男が連れ出しに来たんじゃないのか?」
「ええ、そうでしたね。仲がよさそうな雰囲気で……」
カマ掛けだった。
背の高いピアスの男なんて知らないし、そもそもメアリーにこちらの世界の知人などいない。
しいていえば風車小屋の村であったハンナくらいだ。
「世界を覆い尽くさんとする悪意も、深淵ではただ一本の凡草に過ぎない。禁魔術、『魔界庭園の賑やかし』」
「……え?」
俺が静かに唱えると、爺さんの下から紫の草が伸び始め、彼の身体を縛る。
「なっ! 何を……」
「静かにしろ。騒ぐんだったら、爺さんをすぐ殺す必要が出てくる」
「だっ、誰かぁっ!」
俺が手は動かして草を操り、爺さんの親指をへし折る。
「あがっ! ひ、ひぃッ!」
「静かにしてくれ。残りの指も折ることになるぞ」
俺が言うと、爺さんは黙った。
通路の方に目をやる。まだ人が来る気配はない。
「メアリーはどこに行った。爺さん、正直に教えてくれ」
「し、知りません! 私は何も知らないんだっ!」
爺さんは大きく首を振り、脅えたように身体を震わせる。
言うことが変わった。
時間を掛けるわけにもいかない。
魔力消費が激しいが、上級禁魔術に頼ることにしよう。
紫の草に縛られる爺さんに近づき、その頭に手を乗せる。
「やっやめろっ! やめてくれぇっ!」
「その者が通るとき、人間だけでなく小動物や草木はおろか、秩序なき混沌さえもが頭を地に着け、ただ震えてその者が過ぎて行くのを待っていた。禁魔術、『万物の王』」
魔法陣が浮かび、爺さんがぐったりと首を垂らす。
無生物であろうと生物であろうと、この魔法の前ではあらゆるものが服従する。
「メアリーはどこに行った?」
「夜中に二人組の男が来て……若い女を、攫わせろと。身元は隠していましたが、恐らくウーベルト家の私兵かと」
「なんだ、そいつらは?」
「近くの村の領主の一族であります。残虐趣味で近くの街から女を集めては地下に閉じ込め、拷問していると……そういう噂です」
「……で、お前は脅されて、仕方なくと」
「いえ、これでもう、四度目になります。毎度大金を置いて行かれますので、私も率先して、いなくなっても問題のなさそうな女を優遇して泊めるようにしており……」
「そうか。首でも吊ってろ、クソジジイ」
「はい、かしこまりました」
紫の草が萎びて拘束が解けると、爺はヨロヨロと店の奥へと歩いていく。
俺は辺りを見渡し、誰にも見られていなかったことを再確認する。
「エレ、外に出るぞ。また以前と同じ手順で、ウーベルト家の情報を集める」
「はい、かしこまりました」
時間があまりなさそうだ。
『ほら、妾の言った通りであっただろうが。もうちょっと、メアリーと妾を信用してもいいのではないか?』
……トゥルムに言われると胡散臭く聞こえるが、言い争いをしている場合ではない。
俺の判断で見殺しにしかけてしまったことも確かだ。




