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「さて、どうしてあげようかな?」
国木田が、教室にいたときと変わらない笑顔でそう言う。
腕を組みながら、ピクピクと指輪をしている指を動かしている。
「世界を覆い尽くさんとする悪意も、深淵ではただ一本の凡草に過ぎない。禁魔術、『魔界庭園の賑やかし』」
俺は唱え、国木田の足許に魔法陣を浮かび上がらせる。
「吹き荒れろ、『運び風』」
国木田の身体を風が運ぶ。
屋上の端から端へ、一瞬にして移動する。
遅れて魔法陣から現れた草が伸びるも、当然国木田には掠りもしない。
椎名を俺にぶつける時にも使っていた魔法だ。
あれで動き回られると、捉えるのに手間が掛かりそうだ。
「無駄、無駄、無駄だよ。君と僕とでは、人としての出来が違うんだ。どうやら大層な魔法具を得て浮かれていたみたいだけど、格の違いを教えてあげよう」
国木田が空に指を向ける。
宙が光り、大きな魔法陣が現れる。
「鎮まれ精霊、裂けよ暗雲! 空の統括者たる主が通る! 召喚、『天空の王者』」
鷹の首に、ライオンのような身体。
巨体を空に固定するは、雄大なふたつの翼。
神話通りの姿を持つ、強大な化け物が現れた。
「召喚魔法なんて、持ってるはずが……」
トゥルムから聞いた話と違う。
召喚魔法を扱うためには魔獣と契約するか、固有魔法陣を伝授してもらうかしかない。
だから、レイア以外が召喚魔法を使えないという話だったはずだ。
「いいところに気が付いたね、カタリ君。実は僕と気の合わない魔術師がいてね。黄坂君と青野君を嗾けて潰したんだけど、そのときにたまたま手に入れたんだよ。グリフォンも、すっかり僕を主として認めているようだ。とても賢い魔獣だよ。誰に従うべきか、よくわかっている。君も、この鳥くらい賢かったら良かったのに」
笑いながら言う国木田。
グリフォンが襲いかかってくる。
少しの間、防戦が続いた。
大きな爪での近接攻撃と、国木田による風の遠距離魔法。
なんとか『魔界庭園の暴れ者』による魔法の蔦で牽制しつつ、時に自分の身体に巻き付け防御、回避を繰り返し、紙一重で対処し続ける。
こちらから攻撃を仕掛けようにも近づく隙がない。
魔法で攻撃しようにも『運び風』で避けられるだけで切りがない。
「残念だったね、カタリ君。色々準備もしてたみたいだけど、結局僕の足許にも及ばない。さぞ悔しいことだろう。そろそろ諦めたらどうだい?」
『妾の下僕よ。あの男を殺したいのはよくわかるが、しかし、先にあの魔獣をどうにかするべきであろう。あっちを崩さなくては、勝機が見えんぞ』
わかっているが、グリフォンから倒すわけにはいかない。
恐らく国木田は、分が悪いと判断すればすぐにでも逃げ出すだろう。
こっちが『運び風』に追い付く手立てがない以上、塔から飛び降りて逃げられればどうすることもできない。
だから国木田優位の状況を保ったまま、一気に行動不能の状態にまで追い込まねばならない。
「少し驚きはしたが、遅い蔦と辺りを燃やすことしか能がないみたいだね。グリフォンに手も足も出ていないじゃないか。ちょこまか逃げ続けられるのも鬱陶しいし、そろそろ終わらせてあげよう」
それは好都合、こっちも同じ気持ちだ。
俺はわざと国木田から目を離し、グリフォンで手一杯だというふうを装う。
『おい、奴への警戒を怠るな! またさっきのが来るぞ!』
トゥルムを無視し、グリフォンを蔦で捕らえるのを優先する。
縛ることに成功するが、次の瞬間、蔦はグリフォンに力負けして引き千切られる。
「『乱れ鎌鼬』」
先制攻撃に使用した、大型風魔法だ。
焦らしていれば、いつかまたこれを使うと思っていた。
この魔法は大規模高威力には珍しく、詠唱がない。
ただその分、唱えてから発動までのラグが少し長い。
だから初撃でも長々とご高説を垂れ流した上で死体を投げつけ、俺を混乱させてから使ったのだろう。
魔法に対し壁を作れば、グリフォンで妨害される。
逃げようにも、範囲が広すぎて躱しようがない。
だがこの魔法は、確実な安全地帯がある。
使われるタイミングさえわかっていれば、ギリギリそこに滑り込める。
「嬲り殺せなかったのは残念だけど、これでミンチに……」
蔦を操り、自分の足に絡みつかせる。
そして勢いよく、国木田目掛けて自分をぶん投げさせる。
「はっ! 気でも違ったかい?」
国木田の言葉が言い終わると同時に、風の轟音が屋上を蹂躙していく。
だがそれも、俺のすぐ後ろでのことだ。
風の上級魔法、『乱れ鎌鼬』の安全地帯。
術者の周囲、約2メートルの範囲に入り込むことに成功した。
こうなってしまえば、国木田も魔法で逃げ回ることはできない。
下手に動けば風の刃に飛び込むことになる。
蔦を操り、上空へ逃げようとするグリフォンを地に引き摺り下ろす。
風魔法に警戒を集中させていたグリフォンはあっさりと蔦で捕まえることができた。
断末魔を上げながら、茶の羽毛と血肉を擦り飛ばしていく。
「どうする、国木田? ポーターとやらで逃げるか? その時は、お前もミンチになるが」
「カ、カタリくっ……落ち着くんだ! ほら、よく考えてみてくれ、君のやっていることは、ただの八つ当たりだ! そうは思えないかい? 目的と手段が入れ替わってしまえば、苦しむのは君だ。君の気持ちはわかる! でも、君が幸せになること、それが一番の復讐だよ。僕はそれに、全力で協力しよう。黄坂君達をうんと悔しがらせてやろうじゃないか。ほら、彼なんて、どうせ大した大人にはならないと思うだろう? それにね、僕はただ……」
後退る襟を掴み、そのまま押し込む。
「や、やめるんだっ! 後悔するのは君だ! 落ち着け、馬鹿ッ! 考え直せ!」
国木田は必死に前に倒れるよう踏ん張ろうとするが、一瞬間に合わない。
背中の表面と、踏ん張るために後ろに伸ばした左足を風魔法が擦り削る。
「がぁぁあっ!」
術者の身体を欠損させ、風魔法の刃が落ち着いていく。
片足を失くした国木田がその場に倒れ込む。背は鑢で削られたように肉が抉れ、血が流れ出している。
俺は地に這い付くばる国木田の腕を持ち上げ、人差し指をへし折りながら指輪を奪い、塔の下に放り投げる。
「あ、ああ……」
悲痛な声を上げながら、国木田は指輪が落ちていく方へと目をやる。
これでもう、大した魔法も使えない。
「カタリ君、こんな、こんなことはやめるんだ! 僕は、君の家に火を着けろなんて言っていない! そう、君が怒っていることに関しては、僕は何も悪くないんだ! 確かにきっかけは作った、でも、それだけだ! 君を殴ったことだって僕はないんだぞ! 僕が何をした? 冷静に考えてみてくれっ! それに、僕を失うことはもう、世界的にも大きな損失だと言っていい! だってそうだろう? 僕くらい、神に愛された人間がいると思うかい? 君の身勝手で、僕という芽を摘んでいいと思うかい? 間違ってるんだってことくらい自分でもわかってるんだろ! だって僕は、君と違って周囲からの期待も厚いんだ! 信頼だって寄せられてる! 君の独りよがりで僕を殺していいわけがないだろう!」
「もう喋るんじゃねぇ。お前の声を聞いてるのも気分が悪い」
「気分が悪い? 耳が痛いの間違いだろう! だって僕が言ってることは正しくて、でも君は自分の間違いを認めたくないから、僕の言うことを聞きたくないんだ! それだけなんだ! でもそんなことじゃいけない。掛け間違えたボタンのツケは、いつか必ず君が払うことになる。他の誰でもない、君がね! 後回しにすればするほど、それはずっと大きくなっていく。だから君は、それが一番辛い道だと知っていても、今すぐにでも正しい道を歩むべきなんだ! きっと今の君は、正しい道がどれなのか、わからなくなってしまったんだ。そうだろう? 死んだ家族のことを思えば、のうのうと生きている気にもなれない、そう考えているんだ。でもそれは、欺瞞だよ。そしてきっと、それはどこにも辿り着かない袋小路なんだ。だから僕が、君に正しい道を……」
俺は魔導書を捲りながら、国木田の顎を蹴り上げる。
「聞こえなかったのか? 不快だから喋んなっつったんだ」
顎を押さえながら国木田が呻く。
俺はその様子を見ながら、使えそうな魔法を探す。
「はぁ……はぁ……そ、そうだ! そもそも君を追い込んでやろうって言い始めたのは、僕じゃないんだ! 僕はそれに、乗っかったようなものだから! だから僕がいなくたって……」
「だから、もう喋んなって……」
「夕島優だ! ほら! あいつが言い始めたのが先だ!」
「は?」
優が?
いや、さすがにおかしい。あり得ない。
俺への嫌がらせが始まったのは、一学期のかなり頭頃だった。
確かに裏切られたことは事実だし、そこに疑問が介入する余地はない。
でも一学期の頃は何度も庇われていた記憶があるし、それにそもそも……。
頭の中が掻き回されたようで、気分が悪くなってくる。
ぐらりと、奇妙な浮遊感。身体の中のものを吐き出してしまいたい。
『カタリッ!』
トゥルムの声で、はっと我に返る。
「奪え、『手癖の悪い風』!」
「なっ!」
俺の手許に風が吹き付けられ、魔導書が宙を舞う。
国木田は魔導書を抱きかかえるように持ち、息を荒くしながら笑う。
「はーっ! はーっ! お前は、本当に、本当に馬鹿だなァッ! 見ていて哀れになる! お前みたいなクズを見る度に、僕は僕に生まれてよかったと思うよ本当にねェッッ!!」
国木田は汗やら血やらを流し、歯を喰いしばりながら立ち上がる。
噛み締める力が強すぎるためか、国木田の口の奥から歯の砕ける音がした。
砕けた左足の断面を床に擦り付けながら立つその様からは、恐ろしいまでの執念を感じる。
国木田は噛み千切った自らの唇を吐き捨てながら、魔導書を捲る。
「読める読める、読めるぞぉっ! 見たことのない文字なのに、どんどん頭に入ってくるゥ! この魔導書もォッ! どうやら僕を選んだようだカタリィィイッ! ゴミでカスなお前とは違って、優秀なこの僕をッ! はは、は! どうだい? 今、どんな気分だい? ひょっとして今、この僕に勝てるって思ってたんじゃない? この僕が、お前みたいな出来損ないなんかに負けるわけがないだろうがぁっ! 調子に乗りやがって、ゴミクズが! これさえあれば……これさえ……あればぁっ! ああッ!?」
国木田の手の皮膚が黒ずみ、ずるりと剥け、真っ赤な肉が露わになり、ぼとぼとと血が落ちる。
それと共に、血だまりの中に魔導書が落ちる。
『残念であったな、国木田とやら。残念ながら、貴様は禁魔術には適合しておらんようだ』
国木田にも聞こえるように言ったらしく、トゥルムの声に合わせて国木田が目を見開く。
血管やら肉を露出させている腕をだらりと垂れさせたまま、国木田はヨロヨロと力なく後退る。
一歩歩くごとに、左足の断面からどんどん血が溢れていく。
「ああ、ああああ……ああああアァァァァアァァッァアァァアァァァッアァアァァアアァァァアッァアァァァァアア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”アッッッ!!」
見るも無残な腕を振り上げながら、国木田は自分の顔中を掻き毟り始める。
ブチブチと髪を引き千切り、顔は引っ掻き傷塗れになっていく。
「ふざけるな……ふざけるなぁぁぁぁぁあぁぁあアァッッ!! 僕が、僕はこんなところで、こんなゴミにぃぃいィィィイイイィイッッッ!!」
国木田は自分の指を噛み千切り、床に吐き散らす。
同時に自分で噛み砕いたらしい歯の破片が、口から零れ落ちる。
「ふぎあれろ”ォオッ! 『運び風』ァァァアッ!!」
風が、国木田の身体を屋上外へと持ち上げる。
まさか今から逃げ出そうとするとは、そうするだけの気力があるとは、さすがに予想外だった
「お前は、絶対に殺じてやるがらなぁァァァッ! 覚えておげェ、ガダリィィイッ! 調子づいた雑魚がどうなるがぁっ! 僕に歯向かった馬鹿がどうなるがァッ! 骨の髄までおじえでやるっ! 生まれてきたことをごうがいざぜてやるがらなァッ!!」
骨がところどころ露出しているへし折れた人差し指を俺に突き立て、国木田の姿が消えた。
慌てて屋上端に駆け寄り、下を見る。
あの怪我で、そう遠くまで逃げられるはずがない。
壁に、何か繭のようなものに包まれ、ぐったりとしている国木田が見えた。
その傍には、壁に這っている赤茶色の大蜘蛛、『八足の暗殺者』がこちらを覗いている。




