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 俺は塔の縁に立っている国木田くにきだ椎名しいなへと歩み寄り、距離を詰める。

 足音を聞いて尚、彼らは俺の方を振り返らない。


「……そうか、君か。てっきりアイルレッダの敵対勢力かと思っていたよ」


 国木田は目を空に向け、俺に顔を見せないままそう言った。

 その言葉を聞き、俺は足を止める。


「考えなかったわけじゃないけどね。君を追った赤木が行方不明だし、炎の奥に見えた輪郭が君に似ていたからさ。でも、ま、あり得ないことだと切り捨てていたよ。魔法の規模云々の話をしてるんじゃない。君は、こういうことができる性格じゃあなかったから。だからこそ、学校では君をターゲットに選んだんだからね」


 国木田に凭れている椎名は、眠っているかのようにぴくりとも動かない。


「率先していたのは黄坂君で、指示していたのは赤木君だ。でも、クラスを纏めるためにそれを誘導していたのは僕だよ。虐めの首謀者と、そう君から非難されても仕方ないだろう。……君の家族は、とても可哀相なことになってしまったね。それも、ある意味では赤木君達を見誤った僕が原因だ。悪いことをしたと、そう思っているよ」


 そっと、国木田が椎名の頬を撫でる。

 彼女はそれに対し、何も反応を返さない。


「でも僕は、基本的には間違ったことをしたとは思っていないんだ。君を利用はしたし、苦しめることにもなった。それでも、あのクラスがそれなりに上手く纏まっていたのは僕のお蔭だと、そう自負している。そのことは僕の正義で、信念だ。譲ることはできない。僕の今まで歩いてきた道が、空虚なものになってしまうからね。それは僕だけの話ではなく、僕を信じてくれた人達への裏切りでもある。でも君が僕に恨みを持つことは勿論理解できるし、当然のことだとも思う」


 だから、と言いながら国木田は垂れさせていた右腕の拳を強く握り、声を震わせながら続ける。


「僕を、最後にしてくれ。君の手に掛かり、僕はここで死ぬことを選ぼう。だから、椎名を、他の皆を見逃してほしい。皆は関係ない……とまではいわない。でも、もしも君が殺したいほど憎んでいる相手がいるとすれば、それは僕だけであるべきだ」


「……お前、どれだけ自分が卑怯なこと言ってるのかわかってんのかよ!」


 俺は叫びながら、国木田の背に手を向ける。

 どの魔法だ? こいつには、何をぶつけてやればいい?


 自分の中に、わずかながらに動揺が生まれたのを感じる。

 そのことに、俺は苛立つ。

 叩いて、炙って、潰して、抉って、甚振って、自分の言ったことを後悔させ、撤回させ、その上で殺してやらなければ気が済まない。


「……ああ、承知の上だ。僕は卑怯で、卑劣だ。でも、自分の思う正義のために動く。それだけだ。どれだけ蔑まれようと、自分を果たすだけだ。君を虐めたときと同様、それは変わらない」


「俺はもうっ、何人も殺してんだよっ! お前の勝手な自己陶酔なんかに巻き込まれてやめると、本気で思ってんのか!」


「君を信じているよ。何が君の背中を押したのか、それを僕は知らない。だけど君が本当は優しく大人しい人間だと、そのことは知っている。

 復讐は、虚しいだけだよカタリ君。何も君に残してはくれはしない。君の妹さんも、望んではいないさ。式で遺影を見せてもらったけど、本当に可愛らしい子だったね。成長していれば、さぞ美人になっていただろう。ご冥福を祈らせてもらうよ」


「どれだけお前はっ! 俺の神経を逆撫でしたいんだっ! 何かを残したくてやってるんじゃねぇ! お前らが、元気にニヤニヤ笑って生きてることが許せねぇんだよ! 聖人面してぇなら、もっと自分がやってきたことを客観的に見てみたらどうだ! 自分を綺麗に飾って知ったようなこと言いてぇなら、せめてこっちを向けぇっ!」


「それはできないよ、カタリ君」


 できない、と言いながらも、国木田はゆっくりと俺の方を向く。

 椎名を雑に掴みながら、俺の方へと突き出すようにしながら。


「だってそっちを向いたら、僕が笑ってることがわかっちゃうじゃないかぁ」


 国木田は頬を上げ、舌を垂れさせながら俺の方を向く。

 国木田に抱かれている椎名は胸部が服ごと十字に裂かれており、露出させている白い肌は血塗れになっていた。


「なっ!?」


 さすがに意表を突かれ、思わず後退った。

 椎名は明らかに死んでいる。


 状況に理解が及ばない。


「ははっ! 予想通りの反応だよカタリ君! 吹き荒れろ、『運び風(ポーター)』ァ!」


 国木田が椎名から手を離し、俺へと指輪の着いた指を向ける。

 床に血を垂らしながら椎名の身体が俺に向けて飛んでくる。


「お、お前っ!」


「ようやく隙を見せたね。はい、『乱れ鎌鼬デモン・セティス』」


『まずい、風の最上級魔法である! 躱しようがない、防げ!』


 国木田が、指を頭上に向ける。

 その動きに合わせ、国木田を中心に屋上の床が切り傷だらけになっていく。

 凄まじい音を立てながら、床が砕け散り、破片、粉末が辺りに飛び交う。

 刻まれていく範囲は円状に広がっていき、魔法で俺に投げつけた椎名の身体にまで達した。

 

 一瞬で、椎名の身体中に赤い線が入る。

 全身細切れになり、血が飛び、肉が弾けた。肉片が四散し、血飛沫が俺の身体に掛かりそうになる。

 いや、本当に俺が避けるべきは、その血飛沫と共に迫ってくる風魔法だ。

 掠りでもすれば、その部位を椎名のように刻まれる。


「その蔦は地の果てから天にまで伸び、やがては神々を穿つ一本の槍となった。禁魔術、『魔界庭園の暴れ者オルトゥムアリムヘデラ』!」


 蔦が半球状に絡みつき、俺の前方を覆って何層もの壁となる。

 耳を劈くような音が鳴り、蔦の壁を切り崩す。俺の背後の床が、切り傷塗れになっていった。

 一瞬を経て、蔦の壁が崩壊する。


「ん、あれ、生き残っちゃった?」


 崩れていく蔦の壁の合間から、国木田の顔が見える。


「お前……何考えてやがるんだ? それだけできるなら、逃げられただろ? それに……」


 今の風魔法、明らかに規模がおかしい。

 あれだけできたのなら、風魔法を制御して飛び降りて逃げることも、黒炎を掻き消すこともできたはずだ。

 なぜ六階の穴からも、屋上からも逃げなかったのか。

 なぜ、自分の恋人であった椎名を殺したのか。


「六階の穴は怪しかったからね。皆冷静じゃなかったら、疑問に思ってなかったみたいだけど。だから、譲ってあげたんだ。僕は、優しいからね」


「……意表突くためだけに、わざわざ恋人使い潰す奴がよく言うよ」


「おいおい、そんなために僕が椎名を殺すわけがないだろう。僕が外道か馬鹿みたいじゃないか。僕が逃げなかったのも、椎名を殺したのも、僕の正義のためさ」


「……は?」


「しっかり全員が死ぬのを見届けてあげる必要があったからね。椎名は……成り行きで残っちゃったし。大丈夫だよ、その内火が来るのなら僕の手でって感じで殺したから。最期まで彼女は、僕の良き恋人であれた。そのことは彼女にとっても、とてもな幸せなことだっただろう。

 京橋君か津坂さん以外が登ってきたらすぐ逃げる気だったんだけど、君だったら話が別さ。放っておいたら、また何をしに来るかわかったものじゃないからね。僕の邪魔になる者はきっちり摘んでおかないと」


「だから、なんでお前が、あいつらが死ぬのを見届ける必要が……」


「ははは、嫌だな。決まってるじゃないか。そもそも、君のせいなんだよカタリ君」


 妙に落ち着いた顔で言った後、目をギッと開き、顔を強張らせる。


「お前がぁっ! 僕にぃっ! 井上を殺させたからだぁぁぁあっっ! このことがバレたらァ、僕の地位は地に落ちるだろうがぁっ! このクソ馬鹿やろうがァァッ! お前だとわかった今、確信したぞぉぉォォッ! あの時ィッ! 僕がお前に指を向けた時ィッ! わざと火を上げやがったなぁぁぁあァァッ! わざと僕に井上を殺させたなぁぁぁァッ! 運動もできない頭も悪い要領も悪いィイッ! おまけに性格まで悪いのかこのゴミのクズのクズのクズがぁぁぁァァッ! お前みたいな奴はッ! 大人しく僕の駒になってりゃいいんだよぉぉぉぉおぉおオオォオオッ!」


 国木田は口を大きく開け、叫んだ。

 ガシガシと頭を掻き毟りながらも、その目は真っ直ぐ俺に向けられている。

 思えば、あれだけ俺が色々と仕掛けたのに、レッドタワーで国木田がまともに動揺していたのは、あの時だけだった。


「……そうかよ。井上を殺させた甲斐があったみたいで良かった」


「ぁあぁあァツ? 舐めたことをほざいてくれるじゃないかカタリィィイイッ! お前みたいな小物がぁッ! 下劣な愚策で僕の足を引っ張るのがァッ! 僕は一番ムカつくんだよぉぉぉぉおおぉおォォオオォッ! 仲間殺しは逃れてもォッ! 全員殺されて一人生き残った奴にならなくちゃいけないィィイッ! もしも椎名を見殺しにして逃げたんだとか言い出す馬鹿が出たら、そんな救いようのない馬鹿が出たらァ! お前のせいだぞぉぉぉぉお!? 生まれてから十六年間ッ! 僕は足の爪先から毛の一本まで完璧だったのにぃィィイイ! 苦しんで死んで償ってもらうからなぁぁぁあッッ!?」


 ブチブチと髪を引き千切りながら、国木田は俺を睨む。


『気を付けろ! こやつ、塔の中では実力を隠しておったのだ!』


「……レイアから散々な評価もらってたと思ったら、手抜いてやがったのか」


「当然だぁッ! だって僕は天才だからァ、こっちでも元の世界でも、二割の力で充分なんだよォォオッ! 初めて魔法を使った瞬間にわかったね! 僕は、この世界でも『特別な選ばれた人間』なんだとねぇ! 全力で仲間を守るというスタイルを貫きつつ安全圏に立つにはァ、全力を低く見せるのが一番ッ! 後は必死な振りしてりゃあ充分ッ! だぁれがァッ! あんなクズ共なんかのために死ぬかぁぁぁァァァアアァアァッッ!」


 国木田は怒鳴り散らしながら自分の両指に噛みつき、皮膚を噛み千切った。

 それから少し落ち着いたようで、息を荒くしながらも、丁寧な動きで乱れた自分の髪を整える。


「ふーっ……ふーっ……と、少し柄にもなく荒ぶってしまったかな。君に殺された僕の大切な大切な友人達のため、僕の正義のため、君をぶっ殺させてもらうよ。

 初撃を塞がれたのは予想外だったけど、僕にはまだまだ手があるんだ。だって、僕は、天才だからね。こんなとんでもない世界で生きるんだから、何が起こるかわかったもんじゃない。多少無理をしても、保険を作っておいて良かったよ。世の中、最悪を考えて動くのがもっとも賢い生き方だからね。ああ、また僕は正しかった!」


『気をつけろカタリ! 魔力もそうであるが……こやつ、中身から完全にいかれておる! こういう奴が一番厄介なのだ!』


「言われなくても、んなことわかってるよ」


 追い詰め過ぎれば逃げられかねない。

 かといって、様子を見つつ闘う余裕があるかどうかも怪しい。

 エレを置いてきてよかった。足手纏いにしかならなかっただろう。

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