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「穢れた愉楽を糧により太く、より高く。その黒き根が国を覆って滅ぼしたとき、誰かがその植物にありふれた名をつけた。禁魔術、『怨恨と呼ばれた樹』」
俺が叫ぶと、俺の五列ほど前の客席を中心に、巨大な魔法陣が浮かび上がる。
図太い漆黒の大樹が伸び、魔法陣の上にいた人を椅子ごとブチ抜いた。
ある者は遠くまで吹き飛ばされ、ある者は身体が裂けた。
中に取り込まれた者もいるようだった。
肉片や、床、椅子の一部が飛び散った。
漆黒の大樹にも大量の血が付着したが、樹皮に吸収されて消える。
一瞬にして辺りが阿鼻叫喚に包まれる。
オークション参加者にとっては、天国が地獄に変わった瞬間だっただろう。
もっとも俺やメアリーからしてみれば、最初からここは地獄であったが。
俺からいくらか離れた位置に魔法陣を出したため、まだ俺が犯人だとわかっている人間は少ない。
優先して片付けなくてはいけないのは、俺が立ち上がったときからこちらを注視していた人物の中で、用心棒としてここに来ている相手だ。
俺のすぐ後列の剣をベルトに差している男、奴隷を殺させたオカマの付き人、病弱そうだが杖を持っている女、大柄の老人。
四人の位置を把握し、それぞれの動きを見る。
一番近い剣の男は、隣にいる女を連れて逃げようとしている。
オカマの付き人は剣を抜き、俺へと向けている。
しかし俺からは距離があるし、近づいてくる様子もない。それに腰が引けている。
病弱そうな女は、まだ目の前で怒ったことを受け入れられないらしく、慌てふためいている。
大柄の老人は、こちらに手を向けて何やら口を動かしている。
四人の中でも一番冷静そうだ。それなりに修羅場を潜ってきたという貫禄がある。
この魔法は初めて使ったものであるし、どの程度コントロールできるかも不安定だ。
まずはあの老人一人に狙いを絞ろう。
俺は老人に手を向ける。
老人の足許が崩れ、硬質の尖った黒い根が真上に真っ直ぐ伸びる。
股下からぶっ刺さる。
老人が真上を向きながら吠える。すぐにその顎下を破って黒い根が先端を見せる。
すごい。
黒い大樹の本体から老人までそれなりに距離があったのに、一瞬にして串刺しにした。
「は……はは、なんだよこれ……」
自分の魔法なのに、その規格外さに思わず笑ってしまった。
老人を貫いたからか、わずかに大樹が成長する。
自分の体力が一気に抜き取られていくのが感じる。
規模相応の魔力を消費するらしい。意識も一緒に持っていかれそうになり、俺は自らの手の甲に噛みついて堪える。
「おっ、お前かァっ! このバケモノめぇっ!」
近くにいた太った男が斬りかかってくる。
動きはさほど早くはないが、気付いたのが遅かった。避けきれない。
「ぐっ!」
俺は身体を逸らしながら、太った男と自分の間に手を向ける。
床を突き破って黒い根が伸び、太った男の手の甲を貫いた。
剣もそれに伴い、跳ね飛ばされる。
「あああっ! お、おお、俺の手が、手がぁっ! 抜いてくれぇっ!」
俺が手を降ろすと、根も下がった。
ずぼりと抜け、男の手に空いた風穴から一気に血が漏れです。
「手っ! 手ぇっ!」
もう一度男に指を向けると、横に伸び直した根が今度は分厚い腹を貫いた。
「お……お、俺の、腹……」
すぐに男が力尽きる。
周囲を確認し直す。
状況を呑み込めていないもの、恐怖で動けないものがほとんどだ。
オークション会場の四方にある入り口と、関係者用の扉に意識を向ける。
今まさに扉が開かれ、そこから逃げようとしている人が出始めたところだった。
幸い、まだ一人も逃げていない。
離れた五つの場所へ同時に意識を向ける。
強烈な頭痛と虚脱感が身体を襲う。
狙った五か所から巨大な根が生え、出口を塞ぐと同時に逃げようと集中していた人間を一網打尽に出来た。
何人もの人間が跳ね飛ばされ、貫かれ、中には五体バラバラになって散らばった者までいる。
変わった形の肉塊が、裂けた床に刺さっていた。
いったいあれは、どこの部位なのだろう。
惨死体を目にしても、特に俺は何も思うことはなかった。
強烈な虚脱感で思考能力が低下しているせいか、黒い大樹のせいで大幅に心を持っていかれたせいか。
俺は周囲を見渡し、近くにいる敵意のありそうな相手から順に潰していく。
手を動かさなくとも、意識だけで植物を操れるようになってきた。
周囲が黒い根だらけになる。
鎧を着た銀髪の男が飛び掛かってきた。
こいつを始末すれば、少し休憩できそうだ。
頭が割れるように痛かったので、数十秒なりでも間を開けたい。
銀髪の男の動きを読み、床ごと貫いてやろうとした。
だが男は根が出てくる寸前で動きを止め、軽く右側に遠回りした。
紙一重で避けられてから、目線で読まれたのだと気づく。
銀髪の男は根が掠った鎧に大きな亀裂が入ったのを見て、軽く舌打ちをした。
「おいおい……特殊な金属で作った特上品じゃなかったのかよ。これじゃ鎧はただの重石だな」
銀髪の男は片手で自らの鎧の亀裂を広げ、走りながら強引に脱ぎ捨てた。
鎧を脱いだ男の速度を見誤り、男の動きに遅れ、彼が走ったすぐ後ろに二本の黒い根が伸びる。
いや、故意にずらされた。
三本目はタイミングがばっちりだった。
男が上に飛び跳ねる。
このまま貫けるはずと思いきや、男は宙で足許に迫ってきた根の側面を蹴り飛ばし、距離を詰めてくる。
「これだけ殺して平然としてやがる。お前さん、真っ当じゃあねぇなぁ」
銀髪の男が椅子の背凭れを蹴飛ばしながら近づいてくる。
どうしても捉えきれない。このままだとまずい。
俺は自分の目の前に巨大な黒の根を生やし、直線で飛び込んでこれないようにした。
銀髪の男の姿が見えなくなった。
しかし、それはお互いに同じ。
右から出てくるか左から出てくるか、二択だ。
これを外せば、殺される。見てから動くなんて猶予はない。
どっちから来るか、俺にはなんとなくわかる気がした。
普通に考えれば、左側から来るはずだ。
片目が潰れているせいで、左側は俺の死角になっている。こっちから来られると若干対処し辛い。
だから、左側から出てくる可能性が高い。
赤木に一度突かれた弱点だったからこそ、瞬間に俺はその答えに行き着いた。
ガサッと根の後ろ、左側から音がする。
それを聞いて俺は、来るタイミングを理解した。
銀髪の男は、右側から出てきた。
姿を確認したとき、すでに俺は根を伸ばすことを意識した後だった。
銀髪の男の身体を、黒い根が穿つ。
「が、あがぁぁつ! 」
わずかに狙いが逸れたせいで、俺の攻撃は右太股を抉るに終わった。
しかし、無力化するにはこれで充分だ。
片足を失った男は、根の勢いで宙で回転し、勢いよく身体を床に叩き付けた。
「な……なんで、なんで、俺がこっちから来るってわかったぁ!」
「左だと俺の意表を突けないから、お前は右から攻めるしかないだろ」
こんなあからさまな弱点が付いているのだから、二択になれば外す方に動くしかない。
命を賭けた心理戦で、裏の裏を掻いて逆にセオリー通りに動くなんて、そんな度胸を持った人間は滅多にいないだろう。
外せば死ぬ二択なんて簡単に選べるはずがない。
だからこの銀髪の男も、左側に靴を飛ばしてわざと音を立てるなんて、ついそんな陳腐な策に出てしまったのだ。
余計なことをすればするほど相手に情報を与えるだけだとしても、不安が愚行へと駆り立てるのだ。
頭痛の酷い中、銀髪の男の思考を素早く読めたのは、『敵は左目の死角を狙ってくる』という前提が赤木に植え付けられていたお蔭だろう。
感謝をする気なんて勿論ないが、あいつのお蔭でそこから一巡考える余裕があった。
俺は伏している銀髪の男に手を向ける。
手を使ったのに、特に深い理由はない。
足が壊れているから攻撃を読まれても避けられないし、なんやかんや言っても手で操作する方が慣れているからだ。
しいて加えるのなら、自分の死ぬときくらいは教えてやってもいいだろうという配慮だ。
「やっやめろっ! やめろぉっ!」
俺に向かってきていたときの、あの勇猛さはない。
「……俺からしてみれば、あんなもん見せられてゲラゲラ笑ってたお前らの方がよっぽど人間じゃねぇよ」
俺が言い終えるとほぼ同時に、銀髪の男の背を貫いて黒い根が伸びてきた。
口と背から血を垂れ流しにし、頬を床に擦り付けるようにしながら息絶えた。
俺は頭を押さえ、よろめく。
思ったよりこいつ一人に魔力を使わされた。
まさか禁魔術をここまで避けられるなんて思いもしなかった。
今まで闘ってきた中で、一番の強敵だったかもしれない。




