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この奴隷オークションが終われば、こんな悪趣味な街には二度と足を運ばない。
それでいい、それでいいはずだ。
俺は必死に自分を納得させ、自制する。
魔導書を握る手に掛けている力を弱めた。
「カタリ……ワタシ……」
メアリーが泣きながら俺を見る。
肩に手を置くと、彼女の身震いがわずかに弱まる。
俺は何も言わなかった。
立ち上がってメアリーの手を引いてここを出ようかとも思ったけれど、それもできなかった。
今口を開けば、自分が何を口走るかわからなかった。
それと同様、今何か具体的な行動を起こそうとして、ミーシャの反発を受けたとき、自分が彼女に何をするかもわからなかった。
だから俺は、ただ黙ってオークション会場の端を見ていることにした。
ステージ上はは勿論、客席の下品な笑いも胸糞悪かった。
ただメアリーの肩に置いた手だけに意識を集中させ、見えるものも聞こえるものも受け流すよう心掛ける。
「猫耳族の双子姉妹でございます! ちょっとした余興ということで、抱き合わせで販売させていただきます! 猫耳族は血の繋がりを重んじる節があり、姉妹愛溢れる子達なので、また変わった楽しみが__」
「さてはて次は、落ちぶれ貴族の御令嬢でございます! 純人間! その上奴隷には珍しいことにプライドが高く、また容姿端麗でございますので、通常とはまた違った__」
ゴドーの芝居がかった言い回し、増していく観客の熱狂、哄笑。
どんどんとつり上がっていく値段、それを助長させようとするサクラ。
地獄のような時間を経て、ついに最後の一人まで売り切れた。
どこぞの山を守っていた精霊様が目玉商品だったらしい。
これまた気分の悪い前置きを長々語っていたが、覚えてはいないし、何より脳に入れたくもなかった。
終わったと思い、俺は気を緩めた。
緩めてしまった。
「あ、いやいや皆様、席に御着席願います! 実は、もうひとり用意しています!」
ゴドーが叫ぶと、立ち上がりかけていた客が言われた通りに席に座っていく。
奥の扉が開き、手枷の嵌められた褐色肌の女の子がステージの上へと連れてこられた。
左右で瞳の色が違い、左目は真紅、右目が薄い金だった。
ぴんと尖った耳が幻想的で、その顔は幼くも聡明な顔立ちをしていたが、諦観と怨恨の籠った目をしていた。
「なぁんと、オッドアイのダークエルフでございます! 膨大な魔力と不老、不死に近い生命力! 10年前の大戦で滅んだと言われていた、ダークエルフ一族の生き残りでございます! おまけに見てください、この美しい双眼を!」
会場が騒めき立つ。
「ダークエルフだぁ! なんてもん連れてきやがったんだ!」「そんな奴、殺しちまぇっ!」
「何考えてんだ!」「面を見たくもねぇんだよ!」
よほど忌み嫌われているのか、吹き出物だらけの奴隷が出てきたときとは違い、客達の顔にはあからさまな怒りが浮かんでいた。
「静かにしろぉっ!」
丁寧な口調だったゴドーが豹変、大声で怒鳴った。
会場が静まり返る。
「失礼、無礼を」
コホン、とゴドーが咳払いを挟む。
「私も過去、街に魔物を引き連れたダークエルフが攻めてきたとき、家族を失った一人でございます。こう見えても私、ちょっと名の知れた国直属の魔術師でした。しかぁし、妻も娘も守れなかった男に、戦う意味などございましょうか? 大戦終了後、私は大義を捨て、隠居しておりました。それからは皆様ご存知の通り、ちょっとした縁でここの進行を務めさせてもらっている次第でございます」
物悲しいトーンで語り、そこから「しかぁし!」と声を張り上げる。
「私は、とある老人の匿っていたこのダークエルフを見つけたのです! そしてそのとき、なぜ私がこの職についたのか、その意味がようやくわかったのです! この日のために、私はこの街にやってきていたのだと!
では、さぁオークションを始めましょう! 幸いここにはありとあらゆる拷問道具が揃っております! 万が一ここの物で実現不可能な殺し方が御所望であったとしても、このゴドー、私財の続く限り実現してみせましょう!
過去には不老不死と謳われていた化け物でございます! ちょっとやそっとでは死なないでしょう! 存分にお楽しみください!」
少しの沈黙があった後、趣旨を理解した観客達が歓声を上げる。
奥の扉から数々の拷問道具が運び出されてくる。
そこで自分の意識がすっと遠のいたような気がした。
口々に値段と処刑案が叫ばれていく。
褐色肌の少女は自分に向けられている悪意に屈さず、ゴドーを睨んでいた。
「あの人も役者よねぇ。いったい、どこまで本当なんだかわかったもんじゃないわ」
私は騙されないけど、とミーシャは愉快そうに続ける。
そこから先は、どう頑張ったって意識を逸らすことはできなかった。
ただ視界がぼやけ、頭がくらくらしてきたせいで、あまりしっかりとは認識できなかった。
処刑方法が決まって拷問道具が近づいてくると、さすがの少女も泣き叫んだ。
血が舞う。
次はああしろこうしろと、観客があれこれ口汚く指図する。
ゴドーは落札者の意思を尊重しながらも、なるべく観客の意見を進めて少女を甚振っていく。
ぼやけていた視界が更にぶれ、観客の姿がクラスメイト達へと変わった。
ゴドーの姿が、芹沢と重なった。
少女の姿が、一瞬だけローズに見えた。
ああ、こいつらは、クラスメイト達と同じだ。
気がついたら、俺は席を立っていた。
「あら、どうしたの?」
ミーシャは明るい声色で俺に問う。
周囲の数人が俺を見るが、ほとんどの奴の目はステージへと向けられていた。
俺は魔導書を開く。
この人数を、一気に沈めなければいけない。今まで使ってきた魔法では、規模が足りない。
パラパラと本を捲る。
自然と、それだけでページ毎に書かれている魔法がどういうものなのかが脳に入ってくる。
最後の方のページに指を挟み、そこから俺は開き直す。
右目の眼球だけを動かし、軽く左右を見渡す。
俺が魔導書を開いているのを不審がっている人間の中から、直感で手強そうな相手を判別する。
『カタリッ! 無謀であるぞ! 何を考えておる! 妾を閉じ、しゃがめ!』
「もう遅いだろ」
トゥルムの忠告にそう返し、開いたページの魔法陣を目に焼き付ける。
「穢れた愉楽を糧により太く、より高く。その黒き根が国を覆って滅ぼしたとき、誰かがその植物にありふれた名をつけた。禁魔術、『怨恨と呼ばれた樹』」




