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愛の重さと命の価値

「あ、ご主人様」


 走らせていたペンを止めて、ぱちくりと目を大きくするサラ。


「ごめんなさい。お出迎えもできずに」


 ぱたぱたと駆け寄ってきて、ぺこりと腰を折る。


「いいって。忙しいだろ? 俺もやることあるか?」


「ありがとうございます。それじゃあ、ボクが処理した書類に、押印して頂きたいのです」


「そんなことでいいのか?」


「ご主人様にしかできない仕事です」


 サラは部屋の端にある金庫に向かうと、魔力を送って解錠する。中から出てきたのは、金ピカのでかいハンコだった。


「亜人連邦の王印なのです。これを押せるのは、王であるご主人様だけです」


「なるほど。そういうことなら、押しまくるか」


「ウチもお手伝いするっすー」


 それから、俺達は書類の積み上げられた部屋で作業に没頭した。

 冒険ばかりの人生だったので、こういう事務仕事は新鮮である。といっても、俺はハンコを押しまくってるだけだけど。


「サラ。最近どうだ?」


 ふと、俺はそんなことを聞いていた。


「盟主ともなれば大変だろ? 辛くないか?」


「全然へーきなのです」


 サラは顔を上げ、眩しい笑顔を浮かべた。


「ようやくご主人様の目指す世界が訪れたんですから。ご主人様と一緒に、亜人連邦を理想の国にしていきたい。ワクワクがとまらないのです」


「そうか。それならよかった。同じだな、俺と」


「ボクとご主人様は一心同体なのです」


 えへん、と誇らしげにするサラ。

 思えばサラは、俺がうだつのあがらない『無職』だった時から、ずっと一緒にいて支えてくれた。

 これからもずっと、俺と共に進んでくれると信じてやまない。

 俺にとって最高の従者であり、最愛の恋人だからな。


「けど、亜人のみんなが心から幸せになるには、まだまだ課題がいっぱいなのです」


「やっぱり差別が根深いか?」


「それもありますけど、魔王や女神の被害が、まだまだ尾を引いていて。心身の後遺症に悩まされる人達がとても多いのです」


「そうか……福祉の整備が必要だな」


「その点は、おねぇちゃんが頑張ってくれているのです」


 サラが言うと、ペンを両手に、大量の書類を華麗に捌いていたウィッキーが反応した。


「ん? なんか言ったっすか?」


「おねぇちゃんが、瘴気や霧の影響を受けた人達の治療を頑張ってるって話」


「あー。それがどうかしたっすか?」


 何でもないように首をかしげるウィッキーだが、自分のやっていることの尊さを理解できていないらしい。


「すごいよ、ウィッキーは」


「えーなんすか急に」


「瘴気も霧も、女神の神性だ。普通なら治療なんてできないだろ。俺も散々苦しめられたからよくわかる」


「なんか照れるっすねー」


 照れ笑いを浮かべるウィッキー。


「ウチからしてみれば、女神の神性は知り尽くしたようなもんすよ。裏世界でひたすら研究研究だったっすからねー。治療法の確立だってちょちょいのちょいっす」


「そうか」


 俺は改めてサラとウィッキーを見つめる。


「才色兼備の姉妹だな。まったく、自慢の恋人だよ。お前達は」


 俺の言葉に、二人は顔を見合わせ、互いに頬を染めて笑いあっていた。


「そう言うなら、もっとちゃんと可愛がってほしいっすよ。ウチも、サラも」


「もうおねぇちゃんったら。ご主人様だって忙しいんだから」


 わはは。


「まぁ、忙しさを言い訳に愛する女達を放っておくわけにもいかんだろ。この仕事が一段落したら、お楽しみといこうぜ」


「やったーっす! そうと決まれば、光の速さで終わらせるっすよー!」


「もう……すみません、ご主人様」


 爆速で作業を再開するウィッキーと、申し訳なさそうに頭を下げるサラ。


「いいって。俺だってやりたいんだから」


「……はい」


 俺の超イケメン的な熱を持った眼差しに、サラも頬を染めながら仕事に戻った。

 部屋の温度がすこしだけ上がったような気がした。


 その後。俺達は、夜が更けるまで三人で愛し合った。

 王の寝室に鎮座するベッドは、寝具としては過剰なほど大きく、三人で縦横無尽に動き回っても余りあるほどのサイズであった。そんなわけで、サラとウィッキーが気を失うまでハッスルしたというわけだ。


 〈妙なる祈り〉によって俺の体力は無限にも等しく、一向に萎えることを知らない。人が秘める際限のない可能性は、男女の営みにも力を発揮してくれた。

 余は満足である。


 深夜の静けさの中で、両隣から聞こえる寝息に耳を立て、天蓋を眺める。

 体温を共有するこの瞬間が、今は最高に心地よかった。


「ごしゅじんさま……?」


 ふと、サラが呟いた。

 首を動かすと、暗闇に光る寝ぼけ眼と目が合う。


「サラ。起きたのか」


「すみません。ボク、寝ちゃってました」


「寝たというか。気絶だな、あれは」


 サラはごそごそと、俺の腕にしがみつく。


「ご主人様は」


 言いかけて、サラは一度口を閉ざした。

 俺は何も言わず、続きの言葉を待つ。言うなら聞くし、言わないなら聞かない。そのつもりだった。


「後悔……していませんか? この世界に戻ってきたこと」


「するわけないだろ」


 即答。


「サラには、俺が後悔してるように見えるか?」


「いえ……でも、すこしだけ寂しそうです」


 指摘されて脳裏を過ったのは、エレノアの後姿だ。


「……すまん」


 たくさんの魅力的な恋人を囲っていながら、俺はそんな顔をしていたのか。

 自覚がないなんて、なによりタチが悪い。


「ご主人様を責めたいわけじゃありません。でも、みんな気付いてると思うのです」


「上手く隠しているつもりだったんだけどな」


「そういうの、昔から下手ですよね」


 そう言われると言い返せないな。俺はすぐに顔に出るタイプなんだ。


「後悔はしてないよ。それは絶対に間違いない。けど、もっとこうやっていればって考えることはある。俺がもっと賢かったらとか、あの時ああしていたらとか。考えてもキリのないことだけどな。それでも、あいつも一緒にこの世界に戻ってこれた道もあったんじゃないかって、どうしても考えちまう」


「その道を閉ざしたのは、ご主人様じゃありません」


「だとしても、な。俺の選択次第で未来を変えられたかもしれないって思うのは、うぬぼれか?」


「はい」


 サラは遠慮なく肯定する。


「うぬぼれてこそのご主人様なのです」


 続く言葉に、俺は思わす噴き出した。


「そうか……そうだよな。サラの言う通りだよ、まったく」


 エレノアが今ここにいないのも、すべてはあいつ自身の選択の結果だ。

 あいつは最期まで自分を貫いた。愛に殉じたんだ。

 それを否定するのは、俺のエゴなのだろう。


 気が付けば、サラは再び寝息を立てていた。

 姉妹の頭を優しく撫でると、俺は静かにベッドを出た。


 音もなく寝室を後にし、向かったのは屋上である。

 城館に設けられた屋上は物見台の役割が大きい。俺は屋上の縁に座り、涼しい夜風を浴びながら、まばらな街の光に目を落としていた。

 そこに近づいてくる軽快な足音。


「眠れないのですか?」


 屋上の風に長い髪とスカートの裾を揺らめかせ、後ろ手を組んで現れたのは、のほほんとした微笑みを浮かべた少女であった。


「アイリス。お前もここにいたのか」


「今しがた帰ってきたところですわ」


「こんな夜更けに? どこに行ってたんだ?」


 アイリスは俺の隣に腰を下ろすと、眼下の街を指さした。


「住宅の建設作業ですわ。すこし前にようやくインフラが整いましたので」


「今度は人が住む場所を作らなきゃならないのか」


「仰る通りですわ」


 そうか。アイリスは現場で実働しているんだな。

 たしかに、類稀なる運動能力を持つアイリスにはぴったりの役目かもしれない。

 俺が感心の思いで横顔を見ていると、透き通った瞳がこちらに向いた。


「わたくしにできるのは、これくらいですから」


 その声には珍しく、自嘲の色があった。


「わたくしはサラちゃんのようなカリスマも持っておりませんし、ウィッキーさんのような知性もございません。身体を動かすことだけが取り柄の――」


 その先は言わせなかった。

 俺の人指し指が、アイリスの唇をそっと押さえたからだ。


「謙遜は美徳だが、自分を見下すような言葉は感心しないな」


 俺が紡ぐ声は、ハンサムの響きをもって屋上に広がる。


「お前のその取り柄に、俺がどれだけ助けられたと思ってる。お前はいつだって恐れを知らず、俺を守り続けてくれた」


 青い瞳が波のように揺れる。


「らしくないじゃないか。今夜に限って、一体どうした?」


 アイリスは目を伏せ、夜景に視線を戻した。


「このほどとみに思うのですわ。今や、マスターの行く手を阻むものはありません。敵がいなくなった今、マスターの剣であるわたくしが必要とされることはもうないのでは、と」


 ふむ。


「この世界に帰ってきて、皆さんは自らの役割を見つけ、平和のために努めていらっしゃるでしょう? ですが……わたくしは所詮、戦いしか知らないモンスターです。平和な人の世に寄る辺などあるでしょうか」


「まぁ、たしかに〈蓮の集い〉でも、モンスターまで平等に扱うとは言ってなかったな」


 法の下で、あらゆる亜人を対等な人として扱うべきであるというのが憲章の肝要だった。

 アイリスが仲間外れにされたと感じるのも無理はないかもしれない。


「けどなアイリス。関係ないだろ、そんなことは」


 俺は空色の長い髪をすっと撫でる。


「本来ならさ。憲法とか法律とかで縛られなくても、命ってのは一つももれなく尊重されるべきなんだよ。俺達は誰だって命を持ってる。いや、生命そのものだと言ってもいい。他の命を尊重できない奴は、自分の命だって大切にできやしない」


「命、ですか」


「もちろんこれは理想論だ。俺達にはそれぞれの心がある。どうしても全ての命を平等に見るのは難しい。でもな、だとしても。生き物ってのは、愛する命を自分以上に大切にするんだ」


 アイリスの後頭部に手を回し、引き寄せる。

 額と額を、こつんと優しく合わせた。


「俺はお前を愛してる。お前はどうだ?」


「言わずもがな。わたくしもマスターを心から愛していますわ」


「初めてお前がその姿になった時、落ち込んだ俺に言ってくれた言葉。憶えてるか?」


「はい、憶えております。家族を家族たらしめるものは、愛であると」


 アイリスの形のいい顎に、俺の指先が触れる。


「俺達は家族だ。俺がお前の生きる寄る辺になる」


 そして、俺達は唇を重ねた。

 最初はそっと。

 それがだんだん熱を帯び、お互いを強く求めていく。

 むさぼり合うようなキス。

 心と体に満ちる熱が、甘い吐息になって夜空に出ていく。


 はっきりとわかることがある。

 今ここにいるのは、人間とモンスターじゃない。

 神と女神でもない。

 主人と従者でもない。

 ただ激しく愛し合う、男と女なのだ。


 この夜。

 アイリスはこれまで見たことないような顔と、聞いたこともないような声を教えてくれた。

 あまりにも妖艶な笑み。かつてなく甘美な響き。


 アイリスの中に秘めた強欲が、まさかこういう形で現れるとはな。

 俺にとっては万々歳だ。

 どう考えたって、そうだろ?

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