〈蓮の集い〉と平和への第一歩
その後。
今度こそ世界は元通りになり、早くも数か月が経過していた。
別世界で過ごした時はあまりにも永く、俺達には元の世界に慣れる時間が必要だった。
この世界での生活を重ねる度、帰ってきた実感が強くなる。
同時に、俺自身が背負った使命の深さを、改めて自覚する。
「準備はいい?」
俺の右隣には、髪を結いあげ、紺色のドレスを纏ったセレンがいた。スレンダーラインのシルエットは、高貴なる者の気品を存分に引き出している。正真正銘のプリンセス。その存在感は後光を放つかのようだ。
彼女はいつも通りのクールな表情で、しかしどこか期待しているような眼差しを俺に向けていた。
「待ちくたびれたくらいだ」
正装をばっちりと決めた俺は、人類史上最高の魅力を放つ男であると言っても過言ではないに違いないはずだ。
「自分は……とても、緊張しています」
左隣で俯くオルタンシア。情熱的な赤を基調としたマーメイドドレスで着飾ったのは、引っ込み思案な彼女の魅力を全面に出すためだ。露わになった褐色の肩や背中が、ジェルド族特有のエキゾチックな美を体現している。さらさらの紫の髪と、ドレスの赤の対比がその印象をさらに強めていた。
俺達は今、グランオーリスの王都アヴェントゥラ、その王宮にいる。
新たに建設された大講堂の壇上端に立つ俺達は、いやでも注目を浴びる存在になっていた。
「やっとここまで来た」
「ああ。そうだな」
「世界を変える、最初の一手を打つ」
セレンは決然と呟いた。
今日はセレンが提唱した〈蓮の集い〉。その発足の如何が決まる日である。
大講堂には、世界各国の首脳陣が集まっている。彼らは神妙な面持ちで、あるいは不安そうに、また期待に満ちた表情で、雑談を交わし合っていた。
見覚えのある顔もいる。以前開催された世界会議を思い出させる光景だ。
「皆様、静粛に願いまーす」
不意に、拡声魔法を帯びたアデライト先生の可愛らしい声が響き渡った。
会場はにわかに静寂を取り戻す。
「これよりは、〈蓮の集い〉発足における最終採択会議を開会致します。最初に、〈蓮の集い〉提唱者であるグランオーリス王女セレン殿下にご挨拶賜りたいと思います」
名を呼ばれたセレンは迷いのない足取りで登壇し、優雅に一礼した。
「なにもよりもまず、今日この場に集って下さった各国代表の方々に御礼を申し上げたい」
そして、再び一礼。
会場内には大きな拍手が響き渡った。
「数か月前。我々はここで一つの脅威に直面していた。世界を満たした瘴気。ネオ・コルトと呼ばれるテロリズムの権化。そして、人々を欺いた女神。幸いにも、それらはロートス・アルバレスによって壊滅せしめ、我々は種としての大事を免れた」
会場の視線が一挙に俺に集まる。
「魔王アンヘル・カイド。ネオ・コルト。創世の三女神。目の前の脅威と絶望を克服した我々が、これから考え、実行していかなければならないことはなにか。言うまでもなく、恒久的な平和の維持ではないでしょうか」
セレンが司会席のアデライト先生に合図をすると、大講堂の壁一面に画像が浮かび上がった。
そこには、セレンの提言する〈蓮の集い〉憲章の文言が映し出されている。
その内容を要約するなら、
「全人類の平等。戦争の廃絶。相互扶助による繁栄」
今まさにセレンが言った通りである。
「我々はそれらへの絶え間ない努力によって、世界の平和と全人類の幸福を勝ち取らなければならない」
その通りだ。
共通の敵、共通の脅威が消えた今、待っているのは人類同士の争い。神代におけるノームの反乱以来、人類が歩んできた戦争の歴史が証明してしまっている。
俺達は、そのクソッたれな歴史を絶対に繰り返しちゃいけないんだ。
「これは戦いです。人が誰しも抱える暗い感情や飽くなき欲望との戦いなのです。真に恐るべき敵は、我々一人一人の心の中で今も爪を研いでいることでしょう。故に〈蓮の集い〉が必要なのです。最初こそネオ・コルトに対抗するための同盟という始まりでしたが、ここに至っては、我々が生きるこの世界に安寧をもたらす、その一助を担う重要な使命の組織になりましょう」
セレンの声は淡々と、しかし秘めた情熱の響きをもって各国首脳達に届いていた。
「グランオーリス第一王女セレン・オーリスは、〈蓮の集い〉発足をここに宣言し、その採決を皆様に委ねるものといたします」
一礼。
会場は今一度、大拍手に包まれた。
「それでは、最終採択に移ります。セレン王女殿下が提言された〈蓮の集い〉発足に賛成の国家は挙手をお願い致します」
アデライト先生が言うと、直後に無数の手が挙がった。
反対をする者など、誰一人としていなかった。
無論、これは数か月にわたる根回しによるものだ。この採択は、いわゆる儀式的な意味合いが強い。
だが、公の場においてはこういう格式が大切なんだよな。俺も前世界では貴族のはしくれだったから理解できる。
「ありがとうございます。本日は全会一致をもって〈蓮の集い〉発足が採決されました。まことにおめでとうございまーす!」
先生のお茶目な大声に、会場にはまたもや拍手が鳴り響いた。
壇上のセレンはしばらくそれを一身に受け止めていたが、ふと手のひらを見せて拍手を制した。
「皆様の善なる心に最大の感謝を。続いては〈蓮の集い〉の理事国家の発表に移るのですが、その前にこの場を借りて発表しなければならないことがあります」
セレンの言葉に、会場が一時ざわついた。
それを合図として、俺はオルタンシアをエスコートしながらセレンのもとに歩いて出た。
セレンに頷いて見せると、彼女は一歩退き、俺に壇上を譲る。
登壇した俺の両隣に、セレンとオルタンシアが立つ並びとなった。
「セレン王女が言った発表に関しては、このロートス・アルバレスの口からお伝えさせて頂く」
俺が口を開くと、ざわついていた場内が一斉に静まり返った。
いったい何を言い出すのかと困惑している顔がたくさん見える。柄にもなく緊張してきたじゃないか。さっきまではなんともなかったのに。
「俺が亜人連邦の実質的な代表であることは、周知の事実であると認識している。その上で、俺は両隣にいるこの二人と、正式な婚姻関係を結ぶことになった」
当然、各国首脳達はざわついた。
そのざわつきを貫くように、俺は努めて凛々しい声を発する。
「彼女はオルタンシア。マッサ・ニャラブ共和国のジェルド部族王アルドリーゼの親族にあたる」
オルタンシアが緊張した表情で一礼すると、会場の一角から「いぇーい」という気だるげな声が聞こえてきた。
「俺はこのオルタンシア、そしてセレン王女殿下と夫婦になることを機に、連合国家を興す。亜人連邦、マッサ・ニャラブ、グランオーリスの三国は、それぞれの文化、主権を維持しつつ、政治的な意思を統一した連合国家アルバレス・ユニオンとして〈蓮の集い〉に参加する。俺からの発表は以上だ」
「ちょっと待った!」
物言いは意外なところから聞こえた。
「ハンコー共和国首相のネルランダーだ。質問いいかい?」
「ああ」
「ミスター・アルバレスは、どうしてこのタイミングで彼女達と結婚を? どんな政治的な思惑があってのことだい?」
「もちろん国家間の意思を統一することも理由の一つだけど、それはメインの理由じゃない」
「なら、キミの言うメインの理由とは?」
「俺が、この二人を愛しているからだ。他に理由がいるか?」
「いらないね! 素晴らしいアンサーだ! さすがは我らが英雄ロートス・アルバレスだぜ!」
ネルランダーはあっぱれと言わんばかりに拍手を送ってくれる。それにつられて手を叩く者も少なからずいた。
今日一番のざわつきが、講堂内を埋め尽くした。
そりゃそうだ。
この発表は特定の国にしか事前に伝えていなかった。〈蓮の集い〉発足の根回しに精一杯で、そこまで手が回らなかったからだ。
俺はオルタンシアとセレンを伴ってそそくさと壇上から去る。
「続きまして、理事国家の発表を行います――」
今日の仕事はもう終わり。
アデライト先生の視界の声を背に受けつつ、俺は大講堂を後にした。




