光あれ
唐突な浮遊感。
否、それは落下感だ。
俺の肉体は、有していた位置エネルギーを急速に運動エネルギーに変換している。
その事実に気付いた瞬間、淀んでいた意識がにわかに鮮明になった。
「ロートスっ!」
アカネの声。
俺は近づいてくる地面を認識すると、空中で華麗に全身を翻し、あまりにも優雅に着地を成功させた。
ふわり。着地音を文字にするならそんな感じ。
さて。
現状を確認しよう。
周囲はだだっ広い更地である。俺の手には一振りの剣が握られており、全身には激しい戦闘の痕が刻まれている。
すぐ近くにはのじゃ美女モードのアカネ。
この状況には、憶えがある。
「戻ってきた……んだよな?」
エレノアが再創世を行う直前。その時間軸。
つまりここはグランオーリス。神の山があった場所だ。
「マスター!」
声が聞こえてきたのとほぼ同時に、三人の少女を抱えたアイリスが舞い降りてきた。
抱えられているのはサラ、ルーチェ、オルタンシア。
この状況も、再創世直前のままか。
「ご主人様。ご無事ですかっ?」
「ああ……サラも」
駆け寄ってきたサラの手を取り、お互いの姿を確認し合う。
「帰ってきたんだね、私達」
ルーチェが地面の土に触れながら、感慨深そうに呟いた。
「この感覚……うん、間違いないよ」
「俺達の世界なのか?」
ルーチェははっきりと頷く。
「悲願成就、ですわ。マスター」
「そうか」
ついに帰ってきた。
「本当に、帰ってきたんだな」
知らず、俺は拳を握り締めていた。
全身が震えている。
「種馬さま……?」
オルタンシアを含め、皆が俺の様子を訝しんでいるようだった。
いや、それも当然か。
俺は今、溢れ出る感情に打ち震えているのだ。
巨大な感情の奔流が、俺の精神を爆発させんばかりに。
「――っしゃあッ!」
世界に響き渡る大音声。
それは紛れもなく、歓喜の咆哮だった。
あまりの長遠な響きに、周りの皆は耳を塞ぐほどだ。
俺の叫びが合図になったのだろうか。
近くに時空のゲートが開く。セレンの次元魔法だ。
「でっかい声っすねー」
ゲートから出てきたのはウィッキー。
後に、アデライト先生とセレンが続く。
「ふふ。ロートスさんのお気持ちを表現するには、これでもまだ足りないと思いますけどね」
「あたし達の世界を取り戻せた。みんな同じ気持ち」
「ああ。皆のおかげだ。俺一人じゃ、きっと帰ってこられなかった」
惜しむらくは、この場にエレノアがいないことだけ。
今ここにいるのは、俺と〈八つの鍵〉の計九人。
ん、待てよ。
そういえば、再創前にここにいた奴らはどこに行った?
確か、教皇やイキール、リッター。それにティエス・フェッティがいたはずだけど。
「いや」
おかしいのはそれだけじゃないぞ。
遠景はぼやけ、靄がかかったようにはっきりとしない。
「気付きおったか? 違和感に」
「アカネ。どういうことだ。俺達は、無事に帰ってこれたんじゃないのか?」
「うむ。しかし見ての通りの有様じゃ。この世界はまだ不完全なのじゃろうな」
なんだと。
「再創世が上手くいかなかったといういことですか? しかし、そんなはずは……」
アデライト先生が顎を押さえて思案する。
そうだ。俺はたしかに再創世を為した。その手応えもしっかりとある。
何かしくじったのか? ここまできて、冗談きついぜ。
「なにか足りないものがあるのでしょうか?」
「ボク、分かるような気がします」
「サラちゃん? 分かるというのは?」
「神性です。神性が足りていないんです」
サラの主張に、ウィッキーが得心する。
「もっともっすね。〈妙なる祈り〉はある意味万能の力っすけど、本質に因りすぎているっす。世界を創り直すほどの大事業をするには、より具体的な……道具みたいなものが必要っすよ」
なるほどな。
つまり、俺達が運転手だとするなら、神性は重機みたいなもんか。
運転手だけじゃ、ビルは建てられない。
「原初の世……創世前の無がはびこる世界の卵。ここがまさにそうなのですね」
「先輩の言うとおりだと思うっす。となれば、ウチらの生命から生み出す根源粒子を世界として形作るには、やっぱり神性が不可欠っす」
「でも、女神の神性はエレノアちゃんが持ったままじゃ……」
ルーチェは焦燥の面持ちである。
エレノアが持ったまま、か。
「そういうことなら、大丈夫だ」
「大丈夫って……どうして?」
理由を口にするのは心苦しい。
だが。どれだけ苦しくても、辛くても、言葉にしなければならないことだ。
「エレノアは、もういない」
ルーチェははっとして口を噤んだ。
「神性はもうエレノアの手を離れてる。だから、あるはずだ。ここに。俺達のすぐ傍に」
確信がある。
そうだ。
エレノアはもういない。
世界と共に消えて、いなくなった。
それが、女神になるということだ。
「ロートスくん……」
「気にするな。ぜんぶ分かった上で選んだ道だ。それよりも――」
俺達のはるか頭上に、光が生まれる。
「前を……いや、上を向いていなきゃな」
眩く輝いた光が、狭い世界に差し込む。
降ってきた一条の光から、無数の羽根が舞い散った。
「わぁ」
「きれい……」
サラとオルタンシアが感嘆の声を漏らす。
無理もない。
光の柱から舞う羽根は、燃えるような赤、澄んだ緑、輝くような青の三色だった。
奇しくもそれは、エレノアが背負っていた三対の翼と同じ色彩。
「あいつが、持ってきてくれたんだな」
真実がどうであれ、俺はそう思いたい。
今となっては、この神性だけがエレノアとの繋がりを示すものなのだから。
「仕上げにかかろう」
サラ。
アイリス。
アデライト先生。
ウィッキー。
ルーチェ。
セレン。
オルタンシア。
アカネ。
皆が手を取り合い。光の柱を囲い込む。
「俺と、みんなと、エレノアで。この世界に、全ての色を取り戻そう」
俺達が歩んできた人生と、紡いできた想いを込めて。
輪を作った九人の体が光を放つ。
俺達の全身から溢れ出た無数の輝く粒子は、舞い踊る羽根と結びつき、色とりどりの色彩を得て、大地へ、空へ、宇宙へと広がり続ける。
生命が根源粒子となり、神性を得て、祈りに導かれて、次元を跨ぎ、時間を超え、森羅万象を形成していく。
刹那であり、永遠であった。
虚無であり、充実であった。
無垢であり、混沌であった。
原初であり、終焉であった。
俺達の世界は、久遠の昔から、悠久の未来まで、常に存在し続けている。
再創世とは名ばかり。その実、あくまで事実の構築に過ぎない。
それが、世界を取り戻すってことだろう?
――ロートス。
光の中に響く言葉。
「エレノア」
――ずっと、好きだったわ。
「エレノアっ……!」
――さようなら。
最後の羽根が一枚。
遥かな蒼穹へと、消えていった。




