あくまでターニングポイント
核心部は消滅した。
それが何を意味するのか。わからない俺じゃない。
世界の基盤となっていた裏世界、その中心の崩壊。
それはすなわち、世界の終焉だ。
「終わった……のですか?」
隣でサラの擦れた声。
裏世界のアインアッカ村に戻ってきた俺達は、歪む遠景を目の当たりにして、しかし至って冷静である。
「みんな無事か?」
俺は周囲を確認する。
サラ。
ウィッキー。
アデライト先生。
アイリス。
アナベル。
オルタンシア。
ルーチェ。
セレン。
アカネ。
原初の女神。
一人一人目視して、容体を確認する。
みんな疲弊しているが、命に別状はなさそうだ。
重傷だったアイリスも今は小康状態に落ち着いている。
だが、喜んでばかりもいられない。
ヒーモとサニーは次元の歪みに取り残されたのか、戻ってきていない。
そして、イキールの姿も見えなかった。
「くそ」
覚悟はしていたが、誰一人欠けずに戻ってくることは叶わなかった。
俺の力不足のせいだと考えるのは自惚れが過ぎるだろうか。
「ロートス。大丈夫っすか……?」
ウィッキーが肩を貸してくれる。
「ああ。治療してくれたおかげで、だいぶ感覚が戻ってきた。サンキュな」
ボロボロだった俺の体は、なんとか人の形に見えるくらいには回復していた。それでもボロボロであること変わりはないが。
「ここも長くは持ちません。急ぎ表世界へと帰りましょう」
地面に座り込んでいたアデライト先生が立ち上がる。消耗からふらついたところを、アカネが支えていた。
「面目ありません」
「気にするでない。おぬしはよくやったのじゃ」
アカネの言うとおりだ。
みんな、本当によくやってくれた。
「まだ終わってない」
セレンの声は淡々としていたが、過去一番に緊張感を湛えていた。
「脱出を急ぐべき」
もっともな指摘だ。
裏世界の崩壊は急速に進んでいる。
ここから臨む景色は、ぼやけ、ねじれ、ひび割れ、あるいは砕けて崩れ散っている。
このまま取り残されれば、崩壊に巻き込まれて次元の歪みに放り出され、二度と戻っては来られない。その前に表世界に帰る必要がある。
問題はどうやって帰るか、だが。
「スキル、まだ使える?」
セレンの質問はオルタンシアに向けられていた。
「あなたのスキルなら次元に干渉して、表世界への扉を開くことができる」
「それが……」
オルタンシアは申し訳なさそうに首を横に振った。
「【ゾハル】の破片を取り込んだせいで……もう容量が……」
「仕方ありません。ただでさえ無限のエネルギーを持つ物質です。『インベントリ』がいかに超絶神スキルでも、限界はとうに超えています」
原初の女神はオルタンシアに対するフォローであったが、その事実は残酷だった。
「そんな……何か他に方法はないんですか?」
ルーチェの質問を受け、原初の女神はある人物を見た。
大岩の下で座り込むエマだ。虚ろな瞳で地面を見つめている。
「彼女の助力があれば、あるいは……」
「助力って言ったって」
アナベルが途端に難しい顔になる。たしかに、この期に及んでエマが俺達に協力するとは思えないのも無理はない。
だが、他に手がないのも事実だろう。
「エマ」
俺は彼女に歩み寄る。
ほどけた髪が頬に垂れているのが、妙に色っぽかった。
「エマ」
呼びかけても身じろぎ一つしない。
だらんと投げ出された手足は、エマの戦いの終わりを告げているかのようだ。
「エマ」
俺は彼女の前に屈み、両肩に手を置いて再三呼びかける。
そしてようやく、黒い瞳が俺を見た。
「もう、いいんです」
すべてを諦めたような面持ちに、先程までの決意や執念は微塵も感じられない。
「ぜんぶ終わったんです」
エレノアの望みを叶えられなかった。
デメテル存続の可能性は絶たれた。
女神の分け身として生まれたエマの存在意義は、失われてしまった。
「そんなわけあるか」
俺は優しく、しかし力を込めて答えた。
「まだ何も終わっちゃいない」
「いいえ、公子さま……もう、終わりです。なにもかも――」
光を失った瞳から零れた涙。
溢れ出た絶望の雫を、俺は指で掬う。
「いいか、エマ。お前はまだ見ていないだろ」
「え……?」
「誰も文句のつけようのないハッピーエンドってやつをよ」
「あなたは、まだそんな夢のようなことを言って」
「言うさ。人ってのは、夢を追うために生まれてくるんだ」
「あなたは勝者だからいいですよね……あたしは負けたんです。ハッピーエンドなんか、どうやっても見えません」
「一度や二度の負けくらいで諦めてたら、そりゃ見えねぇだろうよ」
俺はエマの手を取り、強引に立ち上がらせる。
「だからよ、見に行こうぜ。みんなで、一緒にな」
仲間達に向き直る。
彼女達は一人も欠けず、俺の意に賛同してくれていた。
即ち、エマとエレノアを救う未来を目指すということ。
「公子さま……でも、あたしは」
「否定的な言葉を使う必要はない。失敗や挫折があるうちは、まだまだ人生道半ばってことさ。俺と関わった以上、途中退場は許さねぇぞ」
ぽんと、エマの頭に手を置く。
今の俺はまさしく、天上天下唯我イケメンであった。
エマはぷっと噴き出して、くすくすと笑いを漏らす。
「やっと……わかった気がします」
エマの瞳には、かすかながら光が戻っている。
「どうしてあの子が、あなたを好きになったのか」
「なら良し」
小さな手を高く掲げるエマ。
「あなたを信じてみようと思います。もう一人のあの子と同じように」
頭上に顕れたのは、黒い円形のゲート。向こう側は漆黒に覆われた完全なる闇だった。
表世界への門だ。
すでに裏世界はほとんどが崩壊、消滅していた。
俺達の半径数メートルしか残っていない。
完全な崩壊まで、残り十数秒といったところだった。
「行きましょう」
黒いゲートは、俺たち全員を吸い込み、真っ暗闇な空間へと導いた。
裏世界の消滅と同時に、俺達は無事にデメテルへと帰還を果たすのだった。




