正ヒロインかな
「ガウマン侯爵令嬢……! あなたまで!」
二人の少女の魔力がぶつかる。
膨大な魔力同士のせめぎ合い。紛うことなき神話の領域であった。
「黙って聞いてれば、好き勝手言って!」
イキールが纏うのはエレノアの神性に酷似した力。あるいはそれは、人としてのエレノアの祈りなのだろう。
その力は強大であるが、エマとて一歩も退く様子はない。
「あなたにだって分かるはずです! あの子がどれだけ苦しんだか! どれだけ想いの成就を渇望しているか!」
「わかるわよ! 痛いくらいにっ!」
ほんの先程まで、イキールもエマと同じように俺を止めようとしていた。生まれ故郷であるデメテルを保ち、エレノアの世界を守るために。エレノアの恋心、暗い独占欲を肯定していた。
「だったらどうしてあたしの邪魔をするんです! ガウマン侯爵令嬢! あなたはこちら側ですっ! 一緒にあの子の想いを守ってください!」
「あのねぇ……っ!」
二人の激突は莫大なエネルギーの拮抗となって核心部を揺るがしている。
これまでの、皆の乾坤一擲にも遜色ない力。
女神の神性を十全に発揮するエマと、人の祈りを背負ったイキール。
見ているだけで押しつぶされそうな重圧感だった。
「気持ちはわかる……気持ちはわかるのよっ! 女神エレノアが、ただの健気な女の子だってことも、わかってる!」
「だったらどうして!」
イキールとエマはほとんど取っ組み合いのような体勢になっている。
お互いの手を掴み合って押し合う、いわゆる手四つというやつ。
少女達の必死の眼差しが、譲れない信念を物語っていた。
「頭を冷やして考えなさい!」
「なにをっ!」
「男一人に好かれるために、世界を創ったり壊したりするなんておかしいでしょうが!」
たしかに。
流石はイキール。事ここに至ってそもそも論を語ってくるとは。
「今更そんなこと――仕方ないじゃないですか!」
「今更じゃない!」
二人のせめぎあいは、徐々に均衡が崩れていく。
僅かながら、イキールに趨勢が傾いていく兆しがある。
「あのバカ公子は、見せてくれるって言ったのよ! 憎たらしいくらい自信満々で、屈託の欠片もなく笑ってみせて――」
「あの人が、いったい何を見せてくれるって言うんです!」
「誰も文句のつけようのない、完璧なハッピーエンド!」
エマの眉間が寄った。
イキールの双眸が大きく開いた。
そして、均衡は崩れる。
イキールの裂帛の気合によって増大したエネルギーが、エマの魔力を覆い尽くし、突風が霧を払うように吹き飛ばした。
祈りの奔流に翻弄されたエマは、抵抗虚しく核心部の虚空を舞う。結っていた三つ編みがほどけ、長い黒髪が扇の如く広がっていた。
「誰も文句のつけられない……ハッピーエンド……?」
光を失った瞳から、ひとしずくの涙が零れる。
「ガウマン侯爵令嬢。あなたは本当に、そんな絵空事を信じたんですか……?」
擦れたエマの声には、失望の響きがあった。
「そんなの……そんなのありえない。あるわけがないんです……人の世界は無情。現実は残酷です。誰かの幸せの裏には、必ず誰かの不幸が隠れてる。それは、あの子が創ったこの世界でも、変えられない真理」
「ええそうね。あなたの言う通りだわ。けどね」
イキールの手に、光の剣が創り出される。
「あのバカでスケベなボンクラ公子が、そのつまらない真理を変えてくれるって言い切ったのよ!」
そしてついに、極光を閃かせたイキールの剣が、エマの薄い胸を貫いた。




