克己心
完全なる闇だ。
俺は今、あらゆる光を失った暗がりの中にいる。
天地は不明。
ただかすかな揺れを感じるのみ。
そう。
俺の体は、控えめで遠慮がちな力に揺さぶられている。
「――さま――きて――さい」
なんだ。
俺に話しかけるのは誰だ。
「公子さま――」
一体誰が。
「――起きてください」
声が鮮明になったのを合図に、俺の意識は覚醒した。
まるで強い照明が灯ったような眩さだった。
俺の視界に色が戻る。
「は……」
広い講義室。
まばらに座る生徒達。
教鞭を振るう教師。
隣には、エマ・テオドアの困ったような笑みがあった。
「エマ嬢……?」
「公子さま。居眠りはいけませんよ。また怒られちゃいますから」
「あ……ああ……」
「すみません。ヒーモくんも、起こしてあげて下さいますか?」
エマの視線を追うと、逆隣で居眠りをぶっこくヒーモがいた。
緊張感の欠片もないその間抜け顔を見て、俺の頭はひどく混乱する。
どういうことだ。
ここはデメテルの魔法学園だ。
なぜ?
今までのことはどうなった。
エレノアは?
イキールは?
みんなは……?
ぜんぶ、夢だったのか?
どこから?
だめだ。頭がこんがらがってる。
考えがまとまらない。
「公子さま? 寝ぼけてらっしゃるんですか?」
「いや……ああ、うん。そう……かもしれないな」
俺は、ついさっきまで裏世界にいた。
いたはずだ。
いたはずなのに。
目が合ったエマは、きょとんとして首を傾げる。
いま目の前にあるこの状況が、紛れもなく真実であるとしか思えない。
「わけ、わかんねぇ」
講義室前方の魔導ディスプレイに映し出された文字列を見る。
魔法学入門。入学して間もない俺達が学ぶべき分野。
難解な内容を簡潔に説明する教師の弁に、生徒達は興味深そうに聞き入っていた。
「お疲れなんですか? 無理ありませんよね。あんなことがあった後ですし」
「あんなこと?」
「ほら。『アウトブレイク』が起きて、街がめちゃくちゃになっちゃったじゃないですか」
「たしかに。あれは酷い事件だったな」
アンの奴が好き勝手暴れまくりやがったせいで、人も大勢死んだ。
魔法学園もダンジョン化して、大変なことになった。
「ん?」
だったら何故、俺は学園にいるんだ?
帝都が壊滅状態だってのに、講義が開かれているわけがない。
おかしい。
なにかが。
この状況に疑問を抱いていないエマも、生徒達も、教師も。
不自然にもほどがある。
「公子さま?」
おもむろに机に上った俺を、エマが不思議そうに見上げる。
「エマ嬢。キミは、俺にとって日常の象徴だったのかもな」
デメテルの魔法学園で出会った没落貴族の女の子。
彼女との関わりは、公子としての人生ならではのものだった。
「まったく情がないと言えば嘘になる。けど、なにを犠牲にしてでも取り戻したいものがあるんだ」
俺の手に魔力が集まっていく。
「公子さま、何を……!」
「フレイムボルト」
打ち出した火炎の矢が、教壇の教師に飛んでいく。
その過程で講義室の生徒達を貫通していた。
だが、俺のフレイムボルトは人を殺したわけじゃない。
講義室も、生徒達も、教壇も、教師も。
フレイムボルトの射線上にあるすべてが、蜃気楼のごとく歪み、渦を巻いて消滅した。




