『エクソダス』へ
グレーデン子爵領のセーフダンジョンは『エクソダス』と呼ばれている。
山中の切り立った断崖の上に立つ白亜の建築物は、立派な城塞に見えないこともない。
異変が起こってから時間が経っているためか、他の冒険者や商隊の姿はないようだ。
「以前はここも活気があったのですが」
とはシエラの談だ。
「周辺のモンスターは騎士団によって殲滅しておりますが、ダンジョン内部の様子は不明です」
「まぁ、それを調べに行くんだからな」
「本当に騎士を連れていかれないのですか?」
「ああ。一介の騎士が知っちゃいけない真実があるかもしれない」
「知ってはいけない真実、ですか」
「ああ。だから、シエラもここで待っていてくれていいぞ」
「そういうわけには参りません。私は旦那様から坊ちゃまのお目付け役を命じられておりますので」
「危険だぞ」
「承知の上です。ご安心ください。公爵家の侍女として、一通りの武芸は修めております」
侍女って武芸の嗜みがあるものなのか。
まぁ細かいことを気にしてはいけない。ここはエレノアが創った世界なんだし。
「ん?」
俺が『エクソダス』のゲートに向かおうとした矢先、まさに今ゲートに入っていく人影を目にした。
「あれは」
一瞬しか見えなかったが、見覚えのある後姿だ。白い装束に眩いばかりの太もも。金糸を編んだようなショートカット。
「イキール……?」
超絶美少女剣士イキール・ガウマンが、なぜこんなところに。
通行止めになっていたんじゃなかったのか?
「シエラ。急くぞ」
「あ、坊ちゃま!」
光を放つゲートの、その輝きを通り抜けると、『エクソダス』内部の様子が明らかになった。
白亜の要塞の中は、岩肌に囲まれた洞窟だった。薄暗くて見通しが悪く、空気はジメっとしている。
イキールの姿はない。先に進んでしまったか、あるいはゲートをくぐる際に異なる地点に跳んだか。
基本的にゲートをくぐれば同じ位置に辿り着くはずだが、異変が起こっているとなるとその法則も怪しくなっているだろう。
「坊ちゃま」
シエラの声は、いつもよりトーンが低かった。彼女もこのダンジョンに充満している異質な雰囲気を察したのだろう。
「くどいようですが、やはり引き返しては?」
「今更だ。いくぞ」
振り返ると、シエラは組んだ両手にペンダントを握り、目をとじて俯いていた。
「何してる?」
「女神に祈りを捧げているのです。どうか無事に戻れますようにと」
「……聞き届けられるといいな」
エレノアだったら、それくらいの願いは叶えてくれそうなもんだが。
「さぁ、行くぞ」
躊躇うことなく歩き始めた俺の後を、シエラは照明魔法を焚いてついてくる。
周囲に気を配りながら進んでいると、だしぬけにモンスターが顕れた。岩肌を突き破って豪快に出てきたのは、オレンジ色のどろっとした液状生物。
「ジェリーグーです! でもこんな……!」
シエラが驚くのも無理はない。
ジェリーグーとは、いわゆるスライムの亜種だ。種族としては弱く、サイズもバランスボールくらいが普通である。
だが、目の前のジェリーグーは一味違った。くすんだオレンジの液状生物は、俺が見上げるほどに大きい。
「下がってろ!」
俺はすかさず剣を抜き、鋭い斬撃を浴びせる。ジェリーグーの体に大きな切れ目が生じるが、すぐにきれいさっぱり元通りになってしまった。物理的なダメージを受け付けないのが、このモンスターの特徴だ。
「やっぱダメか」
「坊ちゃま! 私が魔法で攻撃します!」
距離を取っていたシエラが、魔力を練り上げ、突き出した掌に火炎の球を形成する。
「フレイムボルト!」
射出される炎の短矢。ヒーモの撃ったものよりも速く、また一回り大きい。
吸い込まれるようにジェリーグーに直撃し、熱風と爆炎が生じた。
だが。
「だめです……! わたしの魔法じゃ火力が……」
全然足りていない。
シエラのフレイムボルトは、ジェリーグーの一部を吹き飛ばしたが、肉体の割合にして一パーセントも減ってない。あるいは百発以上撃ち続ければ倒せるかもしれないが、そんな大量の魔力、シエラにはないだろう。
「坊ちゃま! やはり退きましょう!」
「まだそんなこと言ってんのか」
流石に飽きてきたな。
「魔法が効くなら、楽勝だろ」
俺は揃えた二本の指をジェリーグーに向ける。
「フレイムボルト」
拳銃を模した俺の手から、バレーボール大の炎弾が放たれる。燃え盛りながら着弾したそれは、一撃でジェリーグーを爆散させ、絶命せしめた。
轟音と衝撃波、そして熱風が洞窟内に満ちる。
俺はシエラの盾となり、それらを一身に浴びた。だからどうということはないけど。
「ザコだったな」
飛び散ったジェリーグーの破片が、ところどころ岩肌にへばりついている。しんと静まり返る中、シエラはその光景を呆然と見つめていた。
「急ぐぞ。最奥部まで先は長い」
俺は足早に進む。
「あ、あのっ。坊ちゃまっ」
「なんだ?」
慌てて追いかけてくるシエラ。
「さきほどの魔法は、いったい」
「フレイムボルトだけど」
「しかし、私のものとは全然……」
「単純な魔法だからな。練り上げる魔力の量で火力は大きく変化する。シエラも魔法学園に通ってたなら、それくらい習っただろ?」
「はい……」
静かな洞窟に、俺達の足音だけが響く。
「それほどの魔法の才を持ちながら、なぜ今まで隠しておられたのですか」
「別に隠してたわけじゃない。披露する場がなかっただけだ。わざわざ自分から才能を見せつけるのも格好悪いだろ」
「……公爵家のボンクラ長子とは、仮の姿だったのですね」
「いんや。それもありのままの俺だよ」
シエラはまだ何か言いかけたのを、俺は手で制した。彼女の口の前に人指し指を当て、静かにするよう指示する。
「誰かいる」
イキールだろうか。
だが、気配は一つじゃない。
俺は壁の陰に身を隠し、先にある広い空間を窺った。




