異変発生
数か月後。
俺は公爵領を発ち、帝都カーレーンへ向かうこととなった。
他でもない。魔法学園に入学するためだ。
一見、家と見紛うほどの豪奢な馬車の中で、俺はふかふかのソファに座り込み、先日の公爵との会話を思い出していた。
『ロートス。『ジェネシス』の件はご苦労だった』
『とんでもないことです、父上。私は公子としての責務を果たしただけ』
『ああ。しかし、騎士も連れず単独で調査するとは。なんとも剛毅だが、父として、また領主として感心はしない。大切な後継者に何かあれば、帝国と家門の損失だ』
『どうでしょう。なにせ私は、怠惰なボンクラ公子ですから』
『フッ。そういうことにしておこう。ところで、だ。今回見つかった石碑についてだが』
『何かわかりましたか?』
『あの石碑については、他言は厳禁だ』
『……理由を聞いても?』
『皇帝陛下の勅命、と言えばわかるな?』
『なぜ陛下が』
『そこまではまだ言えん。一部の高位貴族と、教会関係者のみに知らされている機密事項ゆえな』
『ゆえに他言無用というわけですね』
『そうだ。時には知らぬも肝要よ。知れば揺らぐこともある。ゆめゆめ、貴族の責務を忘れるな』
『心得ております』
と、まぁこんな感じだ。
確かなのは、あの石碑にはなんらかの大きな秘密があるということだ。
まぁ、今の俺が気にすることじゃない。
ところで、ずっと車内で座っていると体が硬くなる。うんと伸びをしたところで、部屋の扉がノックされた。
「坊ちゃま。よろしいでしょうか」
「入れ」
静かに入室したのはシエラだ。
「どうした。カーレーンまではまだかかるだろう」
「それが……付近のセーフダンジョンに異変があるとのことで、道が通行止めになっているのです」
「なんだと?」
このタイミングで通行止めは不運だな。
「ここ十数年。ダンジョンの異変は急増していると聞きますが、なにもこんな時に」
エレノアの創世によって生まれた世界は、平穏でロマンに満ちている。もちろん、戦争やモンスターによる犠牲がないわけではないが、悲惨な出来事は俺が知る世界に比べて圧倒的に少ない。
だが、ここ十数年。ダンジョンの異変によって多くの冒険者や旅人に被害が出ているらしい。これはデメテル数百年の太平の歴史の中で初めてのことだ。
「なにか、良くないことが起きなければいいのですが」
シエラは不安そうにして、きれいにまとめた亜麻色の髪を弄っている。
ふむ。
「シエラ。そのセーフダンジョンはここから近いのか?」
「はい? ええっと、そうですね。通行止めの道を進めば、半刻ほどかと」
「わかった。公爵家の名を出して、ここの領主にダンジョンを調査すると伝えてくれ」
「え……? しかし、今回は帝都まで直行の予定でしたので、ダンジョンに精通した騎士を連れてきておりません」
「何言ってるんだ。俺がやるんだよ」
「坊ちゃまが?」
「そうだ。ここの領主に話をつけてきてくれ」
「ですが……」
「何度も言わせるな。無理なら無理だと言え」
「いえ。無理ではありません。ここは、私の父の領地ですから」
「ふぅん。そうか。グレーデン子爵領だったか」
住居にも等しい快適な馬車に籠りきりだったので、そんなことも知らずにいた。
「坊ちゃま。お言葉ですが。調査なんて、危険ではありませんか? 坊ちゃま自ら出向かれずとも、グレーデンの調査隊がおりますし……」
「いや」
ダンジョンの異変は、上流貴族達の秘密になっている。そして皇室も絡んでいる。陰謀か、あるいは国家の危機か。実にロマン溢れる事件じゃないか。
俺は久方ぶりに好奇心を刺激されている。
公爵邸で無気力に生きているよりは、トラブルの渦中に身を投じた方が有意義だ。
前の世界の生き方を、ほんの少しだけ思い出した。
消えてしまった恋人達に思いを馳せる。彼女達だって、俺が腐っていることを望んじゃいないだろう。
「シエラ。公爵家の権力ってのは、こういう時に使うもんだ。グレーデンの調査隊は一旦休止するよう通達を出せ」
「坊ちゃま」
「言う通りにしろ。俺は、公爵からの密命を受けている」
「……まことですか?」
「ああ」
「そう仰るなら、しがない侍女の私は従うほかありません」
「苦労をかける」
「心にもないことを」
シエラは諦めたように目を伏せ、一礼して部屋から出ていった。
グレーデン子爵には悪いが今回は譲ってもらおう。『ジェネシス』の異変とそう間を置かず、グレーデン子爵領のセーフダンジョンにも異変が起きた。これは偶然とは考えにくい。もしかすれば、国中のセーフダンジョンで同じことが起こっている可能性もある。シンクロニシティ的な。
そういうわけで、首を突っ込むのもやぶさかではないってこった。好奇心の賜物だな。
俺は平服から冒険用の装備へと着替える。マントを羽織り、剣を腰に差したところで、再び部屋にノックが響いた。
「坊ちゃま。セーフダンジョン前に到着いたしました」
シエラの報告を受けて、俺は馬車から颯爽と降り立つことと相成った。




