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完全に見失っていた

「グランオーリスへ行きたいんだ。神の山に行くために、亜人連邦とマッサ・ニャラブ共和国を通りたい。できるだけ穏便に」


 俺の言葉に、サラはあからさまに眉を曲げる。


「神の山、ですか。今あそこは世界で一番危険な場所です。あんなところに行きたいなんて、命知らずにもほどがありますよ」


 世界一危険な場所か。言い得て妙だな。

 だが命知らずというのはちょっと違う。


「これを見てくれ」


 俺は腕に巻いていた包帯をほどく。露わになった呪いの痣を見て、サラは息を呑んだ。


「瘴気の刻印……!」


 目を丸くするサラ。


「あるいは神の山なら、この呪いを解く手段があるんじゃないかと思ってな。死にに行くわけじゃない。生きる為だ」


「生きる為……」


 サラは俯き思案する。

 なんとか協力してくれないものか。できることならついてきて欲しいところだ。


「事情はわかりました。しかし、いくら『大魔導士』の使徒でも、王国民をマッサ・ニャラブに通すわけにはいきません。そんなことすれば、ボク達がジェルドの女王に責められちゃいます」


「何か方法はないのか?」


「……ないことはないですけど」


 言いにくそうだな。なんだろう。


「あまりおすすめはできない方法ですし、そもそもリスクを冒してまであなた方に協力する義理もありません」


 冷たい言葉だ。

 サラはいつだって俺を肯定してくれる数少ない存在だったのにな。

 今となっては種族を率いる盟主であるし、俺のことをすっかり忘れてしまっている。

 悲しみが極まっているが、ここで折れるわけにはいかない。


「ロートスくん。サラちゃんの国はね。ロートスくんが想像している以上に不安定なんだよ。戦争と休戦。瘴気を纏ったモンスター。王国、マッサ・ニャラブ、ヴリキャス帝国、グランオーリス。それぞれの国の思惑。そういったたくさんの要因が絶妙なバランスで拮抗して、ようやくほんのちょっと軌道に乗り始めた。亜人の命運は、サラちゃんの選択にかかっているの。だから、そんな怖い顔しちゃだめだよ」


 ルーチェは諭すように、優しく語る。


「俺、そんな怖い顔してたか?」


「うん」


 アイリスを見る。


「まるで鬼のようでしたわ」


「そりゃ言いすぎだろ。なぁロロ」


「いやー、どっちかってとドラゴンみてぇだったぜ」


「まじかよ」


 そんな顔をしてたのか俺は。

 自分の頬を叩く。痛い。


 そうか。

 俺はいつの間にか、余裕をなくして自分のことばかり考えているようになっちまってたか。人の為だ世界の為だと言葉にしても、こんなのじゃ観念の遊戯だ。口だけの人間だ。


 そうじゃないだろ。

 本当にみんなの為に生きるなら、呪いを解くより先にやることがある。

 自分を思い出してもらうことばかり考えず、今のみんなの為に何ができるかを考えろ。


「すまん。目が覚めたよ、ルーチェ」


「うん。よろしい」


 何もかもお見通しか。流石は俺のメイド長だよ。

 体が繋がったことで、心もより深く繋がったみたいだな。


「サラ。ひとまずさっきの話は置いておこう。何か困っていることがあれば協力したい」


「……どういう風の吹き回しですか?」


「力になりたいのさ」


「亜人を利用するのではなく手を貸したいなんて、酔狂な人間じゃないですか」


 俺は立ち上がり、早足でサラに近寄る。


「別に亜人を嫌ったり見下したりしてるわけじゃないが、誤解のないように言っておく。俺は亜人じゃなく、お前の力になりたんだよ。サラ」


 警戒するサラに、真心をこめた視線を送る。


「……酔狂な人ですよ。やっぱり」


 何が起こったのか。

 サラの目からは、大粒の涙が溢れ出ていた。


「あれ? なんだろこれ……なんでボク、泣いてるんですか……?」


 その涙を拭い、サラを抱きしめる。

 抵抗することなく俺の腕の中に収まったサラは、そのまま嗚咽を漏らして泣き出してしまった。


 記憶を失おうとも、憶えているんだよな。

 体でも、心でもなく、サラの最も深い部分が、俺を憶えているんだ。


「ごめんなさい……ごめんなさい……!」


 今のサラには、どうして自分が謝っているのかも分からないだろう。

 けれど、謝らずにはいられないのだ。

 俺はサラを抱きしめる腕に力を込める。


 これが、俺の答えだ。

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