ついに、やっと、ようやくか
これは予想できたこと、というよりは半ば願望のようなものだったが、総督府を去る俺を追いかけてきたのはやはりエレノアであった。
「ちょっとロートス! 待ちなさい!」
大通りの雑踏の中でも、その声はよく通る。
後ろを振り返ると、エレノアが長い髪とワンピースの裾を揺らして、こちらに走ってきていた。俺の前で止まった彼女は、それなりの距離を全力疾走してきたというのに息一つ切らしていない。
「あなた、一体どういうつもりなの? あんな、軍部にケンカを売るような真似をして」
語気強く詰め寄ってくるエレノアに、俺は一歩下がって両手を上げる。
「まあ落ち着けって」
「落ち着けないわよ。あんなの、亜人連合に味方しますって宣言しているようなものじゃない」
「そうかもな」
「わかってるなら、どうしてそんなヘラヘラしていられるのよ」
叱られてるなぁ。まあそれも想定の範囲内だ。
俺としては、こうしてエレノアが追いかけてきてくれたことが何より嬉しいんだ。何を言われようとそれは変わらない。
「お前、会合はどうした」
「抜けてきたわよ。あなたを放っておけないもの」
「マホさんは」
「代わりに出席してもらっているわ……まったく、皆さんに失礼なことをしちゃったじゃない」
「俺ほどじゃねぇさ」
腕を組んでぷんすこしているエレノア。
「立ち話もなんだ。どこか店でも入るか」
「ええそうね。私も、聞きたいことがたくさんあるわ」
そう怖い顔をするな。
全部わかってるさ。
というわけで、俺達三人は目についた喫茶店に入ることになった。
店頭にパラソル付きテーブルが不規則に並べられたおしゃれな店である。
そのうちの一つを陣取り、丸いテーブルを囲む。
「じゃあ、聞かせてもらいましょうか。一切合切ぜんぶ」
「おーけーおーけー。どこから説明しようか」
ついに全てを打ち明ける時が来たのだ。
俺はこの数か月に思いを馳せ、波乱に満ちた出来事を一つずつ言葉にしていく。
エレノアは時折驚き戸惑いながらも、最後まで黙って俺の話を聞いてくれていた。
全てを話し終えたのは、エレノアの注文した飲み物が空になる頃だった。
「……ええっと。ちょっと整理させて」
やっぱり混乱しているようだ。そりゃそうだよ。
「じゃあ、強欲の森林で私達を襲ったのはアイリスで、あの時助けてくれたフードの人が」
「俺だ」
「ファイアフラワードラゴンに遭遇した時にセレンと一緒にいたのも」
「俺だな」
「……あっきれた」
開いた口が塞がらないといったところか。
「じゃあなに? イキール君があなたのことを知ってたのも、あなたが学園生だからってこと?」
「そういうことだ」
「アデライト先生に好意を寄せられていたのはどうして?」
「先生がハーフエルフだってのは、知ってるよな?」
「エルフの森で聞いたわ」
「それ絡みでいろいろあったんだ。まぁ、それだけじゃないけどな」
先生との関係を一から説明するのは難しい。
「……私にアイリスをけしかけたのは、ロートス、あなたの仕業なの?」
この質問だけはトーンが違っていた。
エレノアの学園生活に最も大きく影響を与えたのは間違いなくアイリスだ。深刻になるのも無理はない。
俺とエレノアは揃ってアイリスを一瞥する。柔和な微笑がまぶしい。
「いいや。あれは俺の意思じゃない。あの決闘はダーメンズ家が裏で糸を引いてたからな。確かにアイリスにも煽るような感じはあったが、他意はないだろう。つーかエレノア、あの決闘にしゃしゃり出てきたのはお前の方じゃなかったか?」
「そうだったかしら?」
「そうだろ。重要なところ忘れんな」
「いいじゃない細かいことは」
よくないけどさ。
しかし、俺にも思うところがあるのだ。
「悪かったな。エレノア」
「え? どうして謝るの?」
「故意じゃなかったにしろ、アイリスの存在はお前に小さくない傷をつけただろ。こいつは俺の従者だ。主人の俺が代わりに謝らないと」
「ロートス……」
エレノアは悪くない。アイリスだって悪くない。
紛れもなく、運命のいたずらってやつだ。
それでもエレノアの心情を思えば、俺が謝罪しておく必要があると思ったのだ。
「いいのよ。謝ることなんてないわ。むしろアイリスには感謝しているのよ」
エレノアは胸に手を当てて目を閉じる。
「もしアイリスがいなかったら、私は『大魔導士』として学園で敵なしで、傲慢で高飛車な女になってたかもしれない。アイリスにコテンパンにされたから、世界の広さを知ることができたし、もっと努力しようって思えた。今となってはそう思うの。こんな風に思うのって、変かしら?」
まったく、お前という奴は。
「流石は俺の幼馴染だ。たいした奴だよ」
エレノアが成長したように感じるのは、そういうことを乗り越えてきたからなんだろう。
図らずもアイリスという壁が、エレノアを魔法使いとしても人間としても大きくさせたのだ。
どこか誇らしげにするエレノアは、はにかんでいる自分に気付いてはっとし、軽くテーブルを叩いた。
「そんなことはいいのよ。今はあなたのことを話してるんだから」
ああ、うん。
「村を出てからのあなたの生活が、私の想像していたものとはまるっきり違ったってことは理解できたわ。それでね」
声色が、にわかに真剣な響きを帯びる。
「あなたが戦争を止めるなんて言い出したのは、やっぱり、話に出てきたなんとか機関っていう奴らのせいなの?」
これ以上ない、核心をついた質問であった。




